活動内容

都草 丹波支部企画「夏だ! そうだ! 鮎を食べに行こう!!」~和知郷 地頭片山(17.7.30)

都草 丹波支部企画 

「夏だ! そうだ! 鮎を食べに行こう!!」- 和知郷 地頭片山

日 時 平成27年7月30日(日)
参加者 10名

この地は、平安期から京都の仁和寺領の荘園でありましたが、鎌倉幕府御家人であった武蔵国の片山右馬允広忠が、承久の乱の勲功により地頭職を得てこの地に入ってきました。(1222年) 当時は一般的に、それまでの貴族や寺社の荘園を新任の地頭が押領するケースが多かったのですが、話し合いで「下地中分」(領地を折半)することがよくあったようです。この和知荘でも東半分を仁和寺側、西半分を片山氏側が支配することで折り合いました。(1282年)

 今回の和知訪問については、「鮎」も然ることながら、この片山氏というのがなかなか歴史的に興味深い存在で、鎌倉時代の地頭が、室町、戦国時代を生き延び、さらに江戸時代を経て現在まで、その子孫がずーっと同じ地で継続して生活を続けてきたという、非常に稀有な存在であるといわれています。そのため、片山氏ゆかりの城址や神社、菩提寺などを訪ねて、往古を偲ぶ縁としたいと考えています。
 特に注目点は以下の通りです。
①  明隆寺観音堂(国の重要文化財)
   60年に一度ご開帳される聖観音像を特別に拝観

明隆寺観音堂
明隆寺観音堂
現在は国の重要文化財
現在は国の重要文化財
堂内にて、地元文化財保護委員の榎本氏の説明を受ける
堂内にて、地元文化財保護委員の榎本氏の説明を受ける
観音堂よりの景色、60年に1回の御開帳の時(前回は平成13年)は、 階段から毛氈がひかれる
観音堂よりの景色、60年に1回の御開帳の時(前回は平成13年)は、
階段から毛氈がひかれる

②  阿上三所神社 (三所神社といいながら、四か所現存する。)
   本社: 本庄阿上三所神社
   分社: 坂原阿上三所神社 (京都府重要文化財)- 片山氏の鎮守社
   分社: 下粟野阿上三所神社
   分社: 細谷阿上三所神社

下粟野阿上[アジョウ]三所神社
下粟野阿上[アジョウ]三所神社
同立派な蝦虹梁
同立派な蝦虹梁
細谷阿上三所神社
細谷阿上三所神社
珍しく柱が直角に入っていない
珍しく柱が直角に入っていない

③  出野城跡(片山氏の枝城)
   現在山上には八幡宮と稲荷社が鎮座。
④  長源寺(癌封じの寺)、祥雲寺天足堂(ぼけ封じの寺)

ボケ封じの寺・祥雲寺
ボケ封じの寺・祥雲寺
祥雲寺天足堂、右・長寿の霊木、左・安楽の霊木
祥雲寺天足堂、右・長寿の霊木、左・安楽の霊木

中世、戦国時代にはこの丹波では、京都における政治的動乱が直接影響を及ぼし、丹波の国人達は自らの判断で誰を主と頼むか、誰の味方をすれば有利に働くかを考え行動していかなければならなかったのです。その結果が一族の存亡につながるからです。それは、政治の実権を握る室町幕府管領細川京兆家が丹波守護であったこととも関連しています。

 片山氏はこの戦国期に、3家に分かれ、和知三人衆と呼ばれていました。片山兵内、出野甚九郎、粟野久二の三人です。そしてそれぞれが味方する権力者をたがえているのです。つまり、京都における権力者が、ある時は失脚し、あるいは政権を奪取し、何時その火の粉が降りかかってくるかわからない状況の中で、彼らは保険を掛けたのです。もし仮に何らかの事情で兵内方が滅びたとしても、主と頼む権力者が異なれば、出野や粟野は生き残る可能性は高い。

関が原の戦いでは、出野甚九郎は東軍に属したため、西軍の小野木氏に攻められ、出野城は落城し甚九郎は討ち死にしました。この時、片山兵内は東軍にも西軍にも属さず、戦いを傍観し生き延びているのです。

その後は、武家としてではなく、帰農して、この和知郷に土着し、今日まで多くの子孫が生活を継続することができています。片山氏は地頭としての面目や、武士としてのメンツにこだわらず、ただひたすら一族の存続を目指したことが良かったといえますが、あの戦国という時代状況の中では、決してたやすい選択ではなかったのではないでしょうか。

片山家菩提寺・東寓寺
片山家菩提寺・東寓寺

 昼食は、由良川沿いの特設「鮎ガーデン」で、生け簀に泳いでいる鮎のとれたてをその場で焼いて出してくれます。1匹400円で、貴船の川床にはない、野趣あふれる鮎をガンガン堪能しました。

さ~お待ちかねの食事の時間です
さ~お待ちかねの食事の時間です

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メインの鮎です
メインの鮎です

 食後は、さらに京都府重要文化財に指定されている「坂原阿上三所神社」を訪問しました。ここでは、町指定天然記念物「4大巨木」(ケヤキ2本、フジ、イチイガシ)がご神木となっています。

坂原阿上三所神社(京都府重要文化財)
坂原阿上三所神社(京都府重要文化財)
境内の町指定天然記念物の一つ・ケヤキ
境内の町指定天然記念物の一つ・ケヤキ

 そして「癌封じの寺 長源寺」にお参りしました。臨済宗妙心寺派のお寺で、たまたまおられた住職の藤井宗洋さまから、全員にご法話と警策(けいさく)をいただきました。暑い中でしたが背筋がピンと伸びたように思いました。

癌封じの寺・長源寺
癌封じの寺・長源寺
ココにも有りました
ココにも有りました
癌封じの由来
癌封じの由来
藤井住職より法話を頂きました
藤井住職より法話を頂きました
井上部長も警策の洗礼
井上部長も警策の洗礼

 最後に、出野城跡に向かいました。ここはものすごく急な坂道で、下見の時は登るのをあきらめたのですが、本番では参加者の皆さん、やる気満々で、汗びっしょりになりながら、なんのかんのと言いながら、結局気がついたら山頂の城跡に到着していました。

出野城跡山道
出野城跡山道
出野城跡頂上
出野城跡頂上

 丹波の探訪も回を重ねて、今回はだいぶ奥地までやってきました。丹波には、まだまだ探るべき歴史とおいしいものがありますので、これからも継続して、いろんな出会いを求めて企画していきたいと考えます。
 もし、丹波支部の活動にご興味がありましたら、ご連絡いただければと思います。よろしくお願いします。

 都草 丹波支部 井上 享一

皆様お疲れ様でした
皆様お疲れ様でした

写真撮影:熊谷喜輝
広報部:熊谷喜輝

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