活動内容

丹波支部活動報告「丹波の城を訪ねる」① (17.4.16)

丹波支部活動報告「丹波の城を訪ねる」(01)

都草丹波支部 井上 享一
2017年4月16日

  丹波国というのは中世以降、地政学的見地から非常に重要な位置にあり、特に足利尊氏が篠村八幡宮(亀岡市篠町)で挙兵してからは、多くの国人が中央の政治状況に大きく影響を受けるようになりました。特に室町幕府管領細川氏が丹波国の守護になると、中央での将軍家を含めた政争が丹波にまで飛び火して、お互いに敵味方に分かれて、激しい戦いが繰り返されることになりました。 このため、彼らは一族を守るために、それぞれ山城を構えて備えざるを得ませんでした。さらに織田信長の登場とその配下の明智光秀の丹波攻略に至って、多くの者たちは運命に翻弄されることになります。

 そこで、丹波支部としては、今はもう忘れ去られ、埋もれてしまったそれらの山城を一つ一つ掘り起こして、彼らのうめき声に耳を傾けてやる必要があるのではないかと考え、シリーズで丹波の山城を訪ねることにしました。実際、調べてみると2回や3回で廻りきれるような数ではありません。その中で、今回は特に厳選して3か所に絞り込み、丹波支部メンバーと小松理事長、熊谷副理事長、藤井事務局長にもご参加いただいて、攻め込むことにしました。

本日参加の皆様
本日参加の皆様

  今回の攻城目標は、蟠根寺城(蜷川城)、新庄城、八木城の3か所です。ただし、攻城といっても、相手は竹田城や足助城のような観光化された山城ではなく、登り口も定かでない、人跡未踏の急斜面です。このため、それぞれの山裾に鎮座する寺社を訪ねて、当時の様子を窺い知ることにします。

山城

神社

蟠根寺城(蜷川城)

春日神社(重文)

蟠根寺(ばんこんじ)

新庄城

船井神社(元は春日神社)

如城寺(にょじょうじ)

八木城

春日神社

龍興寺・東雲寺

 1.蟠根寺城(蜷川城)

城主は蜷川氏で、室町幕府政所代を務める有力官僚。アニメ「一休さん」で、蜷川新右衛門のモデルとなっているのは蜷川親当(にながわ ちかまさ)。この親当の祖父にあたる親朝が南北朝時代に築城した城で、丹波園部では最大規模。そして、菩提寺として建立されたのが蟠根寺です。本尊は大変めずらしい「地蔵菩薩半跏思惟像」です。半跏思惟像は弥勒菩薩や如意輪観音では一般的ですが、地蔵菩薩ではめったにお目にかかることはないので、一見の価値はあります。

蜷川氏は、その後二流に分かれ、一方は明智光秀に従って山崎の合戦で敗れ、江戸時代に入って、園部城の小出吉親によって、城は焼き払われました。もう一方は四国の長宗我部元親を頼って逃げ延び、その後江戸期には山城国綴喜郡で500石の旗本として幕末まで存続しています。

春日神社前にて
春日神社前にて
春日神社本殿
春日神社本殿
蜷川親朝公墓前にて
蜷川親朝公墓前にて
蟠根寺
蟠根寺
蟠根寺本堂にて説明を聞く参加者の皆様
蟠根寺本堂にて説明を聞く参加者の皆様

 2.新庄城(船枝城)

 丹波守護代の内藤氏(八木城主)の家臣井上氏の城で、八木城の支城という位置づけ。

 麓には船井神社(春日神社)、文覚池、そして如城寺があります。 

 如城寺は特に城主の井上氏とのつながりは明確ではありません。むしろ、木曽義仲の愛妾である巴御前が開基し、義仲を弔ったと伝えられる寺です。寺宝として、巴御前の面と鏡が伝わっています。

船井神社
船井神社
左甚五郎作 「金網に覆われた馬の絵馬」
左甚五郎作
「金網に覆われた馬の絵馬」
新庄城の城山
新庄城の城山
如城寺に続く階段
如城寺に続く階段
巴御前の墓とされる五輪塔
巴御前の墓とされる五輪塔
文覚池の桜風景
文覚池の桜風景

3.八木城

 黒井城、八上城とともに、丹波三大城郭の一つに数えられます。丹波守護の細川氏の有力被官であった内藤氏が、守護代として実権を握り築城しました。戦国期に城主となった内藤忠俊はキリスト教の洗礼を受け、ジョアン(如庵)と名乗って、ルイス・フロイス等の宣教師とともに、当地で布教活動をしていました。その後、ジョアンは八木城を離れ、各地を転々とするも、徳川による禁教令で、高山右近らとともにマニラに亡命し亡くなっています。今でもマニラ市と南丹市は姉妹都市です。一方、八木城そのものは明智光秀の丹波攻略で落城し、内藤氏は滅亡しました。

春日神社
春日神社
本殿
本殿
境内の枝垂れ桜
境内の枝垂れ桜
登山口に向かう道の大手門に似せたトンネル (上は京都縦貫道)
登山口に向かう道の大手門に似せたトンネル
(上は京都縦貫道)
八木城登山道
八木城登山道
八木城の説明を井上部長から
八木城の説明を井上部長から
八木城の城山
八木城の城山
八木駅前の内藤如安の看板
八木駅前の内藤如安の看板

龍興寺は細川勝元創建の臨済宗妙心寺派の寺院で、龍安寺、龍潭寺とともに「京都三龍寺」と称されます。丹波守護の細川氏としては、守護代の内藤氏の動静および領地経営の状況を監視しておく意図があったのではないかと思われます。

細川勝元創建の龍興寺
細川勝元創建の龍興寺

*今回訪問した三城には、いづれも春日神社が鎮守しており、その謂れが気になっていますが、現在のところ明らかになっておりません。今後の課題になります。 また、特に蟠根寺では、京都府文化財保護指導委員の河原信之様から丁寧なご説明をいただき、大変感謝しております。

今回お世話になりました 京都府文化財保護指導委員 南丹市文化財保護審議会委員 河 原 信 之 様
今回お世話になりました
京都府文化財保護指導委員
南丹市文化財保護審議会委員
河 原 信 之 様

(写真撮影:熊谷喜輝)
(広報部:熊谷喜輝)

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