活動内容

第110回歴史探訪会南部会~都人が愛した嵯峨野を歩く!~(2024.4.19)

第110回歴史探訪会南部会~都人が愛した嵯峨野を歩く!~(2024.4.19)

(日時):令和6年4月19日(金)

(コース):大覚寺駐車場⇒大沢池⇒嵯峨野田園散策⇒兒(ちご)神社⇒広沢池(旧遍照寺)⇒遍照寺⇒阿刀神社

(参加人員):44名(会員37名、+スタッフ7名)

 

若干、汗ばむ陽気でしたが晴天に恵まれ絶好の散策日和となりました。

嵯峨野は、秦氏が切り開いた地域で、平安遷都以降、都からそれほど遠くない場所にあったことから、歴代天皇が狩りを楽しんだり、遊興地として度々訪れました。また、四季折々の草花豊かな自然を楽しむため多くの都人がこの地を訪れ、たくさんの歌を残しました。

現在でも、京都市内にありながら、風光明媚な田園風景を残すこの地を楽しみながらの散策となりました。
 

大覚寺駐車場に集合

大沢池では、観月台、嵯峨御流のいけばなの基礎と言われる天神島、庭湖石、菊ヶ島や700年ぶりに再建された名古曽橋、名古曽の滝など嵯峨天皇を始めとする歴代天皇が楽しんだ風景を眺めながら池の周りの散策を楽しみました。(松若忠雄会員及び日野英子会員)
 

大沢池観月台
新しくなった名古曽橋を渡ります
左から天神島、庭湖石、菊ヶ島

 

名古曽の滝
松若忠雄会員(左)と日野英子会員

大沢池から広沢池まで、田んぼに広がる一面のレンゲ畑に目を奪われつつ、「秦氏一族」の古墳に思いを馳せました。
 

レンゲ畑
秦氏の古墳

この道は、かつて、都人が歩いた「千代の古道」だと考えられ、途中、ロータリークラブが建立した道標の前でかつての都人に思いを馳せました。
 

千代の古道の道標

広沢池の前にある「兒神社」では、遍照寺を建立した寛朝僧正の死に際し、池に身を投じた稚児に因む「石椅子」や「ハートストーン」についての謂れの説明がありました。
 

兒子神社の説明をする酒井源弘会員
ハートストーン(左)と石椅子

また、今も続けられている「お宮参り」、「七夕祭り」や兒神社から阿刀神社を神輿13基が往復する「秋季大祭」などの祭事について、の説明がありました。(酒井源弘会員)
 

広沢池の観音島では、旧遍照寺がこの広沢池を庭池としてしていたこと、中秋の名月には、精霊が浮かべられるなど、庶民にとっては大沢池以上に親しまれていたことなどの説明がありました。晴天のなか、緑豊かな山に囲まれ広々とした雄大な景色を楽しめました。(野津隆会員)
 

広沢池の観音島の弁財天社
弁財天

次の遍照寺へ向かう途中、谷崎潤一郎の小説「細雪」に登場する広沢池端の椿や、現在は富岡大明神となっていて朱色の鳥居が立ち並ぶ、こんもりとした「稲荷古墳」がありました。
 

小説「細雪」に登場する広沢池端の椿
朱色の鳥居が立ち並ぶ富岡大明神

遍照寺では、ご住職と副住職から、旧の遍照寺が現在地に移った経緯などのお話があり、旧編照寺が焼失した際、広沢池の観音島にあったため焼失を免れた「十一面観音像」と下総の国から奉じられた「不動明王像」(共に重要文化財)を拝見しました。また、庭には、見事な藤が咲き誇っていて、参加者も美しさに見惚れていました。
 

遍照寺の説明をされるご住職
遍照寺本堂内で説明を聞く参加者
満開の藤の花

最後に、「阿刀神社」を訪れましたが、もともと、南側に続いていた参道は、現在では住宅が立ち並んで無くなってしまっていることから、北側の丸太町通から入りました。このため、秋季大祭で終結13基の各氏子町内の神輿は、南側の離れた路上で並んで参拝を行っています。(酒井源弘会員)
 

阿刀神社境内

(専務理事 伊藤義男)

(広報 須田信夫)
(写真 須田信夫)

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