活動内容

第104回都草歴史探訪会 伏見深草部会 『平安末期から鎌倉時代へ! 日野の里をあるく』(2023.5.30)

第104回都草歴史探訪会 伏見深草部会 『平安末期から鎌倉時代へ! 日野の里をあるく』(2023.5.30)

 

日時 令和5年5月30日(火) 12:30受付 13:00出発~16:00

集合場所 地下鉄東西線 醍醐駅改札口

コース 醍醐駅→朱雀天皇陵→理性院→長尾天満宮・頼政道→一言寺→平重衡の墓→日野誕生院→法界寺

参加費 1,000円(法界寺拝観料込)

参加人数 37名(会員28名 本部2名 伏見深草部会7名)

天候 曇り

 

例年より早く10年振りの5月梅雨に入り、前日からの雨も朝のうちに止み決行致しました。前日、当日の欠席者も11名おられたのも残念でした。

今回は、皆さんに分かり易く丁寧にを心掛け、醍醐、日野へ醍醐山から日野岳の緑を見ながらのコースとなりました。
まず、初めての方のためにコースの概要を関連づけて簡素化し、ポイントを説明し少しでも興味を持っていただくように努めました。

方丈記(日野路)の「ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず。・・・」
『うたかた(淀みの水の泡)が消えては浮かぶ・・・』
いにしえの歴史にたとえ、それを思い浮かべての探訪となりました。まず、それぞれのコースの注目度のみ説明。
スタート前・森幸弘
 

出発前、今日のコースの説明(パセオダイゴロー)

 

日本一美しい五重塔の落慶法要を見ずに崩御された朱雀天皇。
後山科陵が先帝醍醐天皇陵で、「醍醐陵」が朱雀天皇陵。平将門の乱や富士山の噴火もあった。
朱雀天皇陵 神山友代
 

朱雀天皇陵

 

千体地蔵(赤い前掛け)に圧倒。
本堂の太元帥明王は「極忿怒」「必勝祈願」、秘仏80年に一度。

理性院 岡本学
 

ちょっと色のあせた赤い前掛けをかけた千体地蔵

 

菅原道真と聖宝のこの地での約束、大宰府から衣装や遺物が届く、「衣装塚」がある。
頼政道:園城寺→山科→醍醐→日野→宇治、以仁王を立てて平家打倒の兵を挙げるが失敗する
長尾天満宮・頼政道 安田富枝
 

長尾天満宮

 

優しいお顔の仁王様(仁王門)と日本一美しい五重塔を説明。
醍醐寺 樋口千賀子
 

醍醐寺仁王門

 

門前を通る頼政道。
 

頼政道を通って一言寺へ

建礼門院に仕えた阿波の内侍は、この地に寺を建てた。
「ただたのめ 仏にうそは なきものぞニ言といわぬ 一言寺かな」
一言寺 久世幸男
 

一言寺

 

平重衡は「頼政道」に軍を進め、南都焼討を行い大仏の首を落とした。
「平家物語」では日野の別れの名場面、「一つの蓮の上に共に生まれ変われる様に」と重衡と妻輔子は、祈ったと記す。

平重衡墓 森幸弘
 

平重衡の墓

ここ日野法界寺の地に生まれた、親鸞聖人の生誕850年立教開宗800年。
「歎異抄」の「悪人正機(善人なをもて往生をとぐ・・・)」や「他力本願」、誕生院の昭和建築の最高美を説明する。

日野・誕生院 森幸弘
 

日野 誕生院

 

最後に、何度見ても素晴らしい丈六の平等院とほぼ同じ「定朝様式」の阿弥陀仏。
平安末期には5体の同じ像があつたという。
内陣の天人壁画は我国最古のもの。
さらに日野の里(藤原北家)についての歴史も、法界寺住職の説明で今回は終了とした。
― 法界寺・住職
 

やっと法界寺につきました

(伏見深草部会部長 森幸弘)

(広報 須田信夫)
(写真 須田信夫)

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