活動内容

京都学・歴彩館府民協働連続講座 第12回都草講演会(2023.6.18)

京都学・歴彩館府民協働連続講座 第12回都草講演会(2023.6.18)

日時:2023年6月18日(日)

場所:京都府立京都学・歴彩館大ホール

講演:東映株式会社 経営戦略部フェロー 山口記弘氏

テーマ:「東映70年の歩み」

参加者:143名
 

令和5年6月18日(日)、京都学・歴彩館大ホールで第12回都草講演会を開催、参加者は143名でした。
 

 

講師は2017年から2020年まで東映太秦映画村の社長を勤めた山口記弘氏にお願いしました。山口氏は、現在も東映株式会社 経営戦略部フェロー、及び京福電鉄 社外取締役として活躍されています。
 

講師の山口記弘氏をご紹介

 

講演では、日本で始めて映画が撮影された1908年(明治41年)から戦後1950年代の東映映画全盛時代、60年代からのテレビの台頭と映画の衰退、さらにテレビ時代劇の盛衰を時代を追って解説されました。
初期の映画で活躍した往年の大スター尾上松之助や、阪東妻三郎、嵐寛寿郎から始まり、これまで映画で活躍したスターの写真や当時のポスターなどが次々に登場し、懐かしく思われた方も多かったのではないでしょうか。
 

講演会場風景

 

東映映画のルーツは牧野昭三で、日本映画の父と呼ばれスター発掘の天才でした。そして日本初の時代劇映画「本能寺合戦」作成にあたり、日本初の監督を務めました。

現在の東映京都撮影所の場所に太秦撮影所を作ったのは阪東妻三郎でした。作品作りには励むものの、撮影所の経営には問題があったようです。
 

講演する山口記弘

1951年4月に東横映画、太泉映画、東京映画配給の3社が合併して東映㈱が発足しました。そして東映娯楽版が大ヒットし、大人から子供まで「時代劇は東映」といわれる程でした。1954年から1960年は東映快進撃の年で、年間100本近い時代劇を作り上げました。

しかし、1960年代に入ると、テレビの普及で映画産業に陰りが見え始め、東映が得意とする時代劇の制作本数も激減します。そのためテレビ時代劇の撮影を始動しましたが、1970年には映画の時代劇は撮影がゼロになってしまいました。

 

講演会場風景

1975年に時代劇の復活を目指して誕生した東映太秦映画村についてもお話しされました。全盛期には入場者が年間260万人もあり、時代劇と撮影所を支えましたが、バブル崩壊や阪神大震災の影響もあり2001年には動員数が100万人を大きく割り込みました。しかし、子どもたちに時代劇を楽しんでもらうべく、時代劇要素を入れたキャラクターイベントを実施したり、体験型有料アトラクションを新設するなどで徐々に業績が回復してきました。様々なイベントを通して観光スポットをつないで展開することで、さらに盛り上げていく計画もあります。

最後は、映画村100年・太秦時代劇150年にむけて、地域の方々と共に文化的な価値を高め、新たな時代劇が生まれるよう努力してまいります、と力強く締めくくりました。
(副理事長 岸本 幸子)
 

司会の岸本幸子副理事長

 

受付風景

 

(広報 須田信夫)
(写真 須田信夫)

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