久多花笠踊レポート(16.8.24)
久多花笠踊レポート(16.8.24)
![踊り奉納](https://www.miyakogusa.com/wp-content/uploads/activity/22531/57c552fb51036.jpg)
![踊り奉納](https://www.miyakogusa.com/wp-content/uploads/activity/22531/57c5532a142de.jpg)
夜の祭りに出没すると噂されている高橋夫婦です。
8月24日に行われました。
久多の産土神・志古淵神社(創建 延暦十二年 思古淵神社と称することもあり)へ五穀豊穣の
成就に感謝して歌と踊りを奉納する行事です。
室町時代から続く風流燈籠踊のひとつと言われています。
国の重要無形民俗文化財に指定されています。
![花笠](https://www.miyakogusa.com/wp-content/uploads/activity/22531/57c5536420f14.jpg)
8月16日頃から5軒の「花宿」に集まり花笠作りを男性だけで行います。
笠に飾る造花はほとんどが和紙で作られます。この造花と笠の側面に貼られた透かしは非常に
精巧で美しいものです。
踊りは歌と太鼓に合わせて、花笠を手で持って振ったり、上げ下げしたり、持ち手の人が回転
したりして踊ります。激しい動きはありません。
![上の宮神社での神事へ向かう](https://www.miyakogusa.com/wp-content/uploads/activity/22531/57c553a1b9df7.jpg)
以前は男性が花笠をかぶって踊っていたことと、花笠の意匠からは八瀬の赦免地踊りに通じる
ものがある気がします。
志古淵神社の約1.5km川上にある上の宮神社での祭事開始が8時です。
![上の宮神社での神殿の祭事](https://www.miyakogusa.com/wp-content/uploads/activity/22531/57c553ec14529.jpg)
それに向けて各地区の「花宿」から続々と花笠の行列が出てきて合流します。
上の宮神社では社殿に花笠を供え、「神殿(こうどの)」が祝詞を奏上し花笠踊を奉納します。
![上の宮神社から大川神社へ向かう](https://www.miyakogusa.com/wp-content/uploads/activity/22531/57c5542cc0929.jpg)
その後、御神灯を先頭にして、17基の花笠の行列が田んぼの中の道を志古淵神社へ向けて進発します。
途中、中間地点にあり、京都市の指定・登録天然記念物である久多の大杉の根元にある大川神社へ立ち寄り、
ここでもまた踊りを奉納します。
志古淵神社には9時頃到着。花笠を神前に奉納して、祭関係者や花笠の持ち手は社務所やその周辺で一休み。
![志古淵神社拝殿前での踊り奉納](https://www.miyakogusa.com/wp-content/uploads/activity/22531/57c554846b3ab.jpg)
その間、拝殿の前で盆踊りが行われました。歌詞をつっかえ、つっかえ読みながらの歌と太鼓と踊りのリズム
が全く揃わず、徐々に踊りに加わる人数が少なくなる、不可解な盆踊りでした。翌日、民宿の奥さんに訊くと、
「ひとが居なくて練習できないから・・・」とのことでした。
![神殿の御礼の挨拶](https://www.miyakogusa.com/wp-content/uploads/activity/22531/57c554b92a8bf.jpg)
10時からいよいよ花笠踊が始まります。その頃から観客が増えてきました。ひと山越えれば、広河原から車で
30分で到達出来るので、どうやら、松上げを見てから来た人達のようです。
神前に並べていた花笠を取り出し、隊列を整えます。そして、祇園祭の傘鉾同様の「より棒」と呼ばれる棒振
りが現れ、拝殿前で棒を打ち合い、清めの祓いを行います。
その後、途中「神殿」からの謝辞を挟んで、延々1時間以上踊りは続きました。
![踊り奉納](https://www.miyakogusa.com/wp-content/uploads/activity/22531/57c554f79a788.jpg)
歌の歌詞をよく聞いてみると面白い文句が並んでいました。民俗学の研究をしている学者さんなのか、
小生の隣で一生懸命歌詞集を見ながら合わせて歌っているひとも居て、印象的でした。
祭の進行の仕方のドタバタや、踊り等の芸能の不慣れはありましたが、歴史があり、優美な行事が過疎化と
いう理由だけで消えて行かないようにしたいものです。(会員 高橋 浩次 & 直子)
(広報部 岸本 幸子)