活動内容

わくわく倶楽部・祇園祭研究会「ケンケト踊り見学会」(24.5.3)

わくわく倶楽部・祇園祭研究会「ケンケト踊り見学会」(24.5.3)

日時:令和6年5月3日 10:00~18:00頃
天気:快晴
参加:13名
行程:京都駅~草津駅~貴生川駅~東前野~瀧樹神社

祇園祭・四条傘鉾や綾傘鉾の「風流拍子物」は、祇園祭で最も古くから行われていた芸能とも考えられています。四条傘鉾は明治に入ると途絶えますが、昭和の復興の際に参考にされたのが「瀧樹神社のケンケト踊り」です。今回は四条傘鉾の棒振り踊りのルーツに迫ります。

参加者は朝10時に京都駅の2番ホームに集合。GWとあって従来のインバウンド客に加えて日本人の親子連れなどの観光客も多くかなりの混雑でした。20分前には全員お揃いでしたので、混雑する新快速ではなく早い時間の各停で座って草津駅まで早めに移動しました。草津駅からは始発の電車なので、ここからも座って行けました。貴生川駅ではバスの接続に時間があるため、各自持参のランチタイムとなりました。

草津線車内、貴生川駅でランチ

バスも道も空いていたので予定通りに現地に到着しました。お祭りがあるとは思えないくらいの静けさでした。神社に向かう道すがら、地図にも載っていない社に立ち寄りました。石灯篭には「牛頭天王」と彫られています。これは無視できません。しかし、説明書きはおろか扁額なども一切なく、名前も祭神も不明です。地図にも神社や文化財のリストにも記載がない、近所の方々だけで受け継いできたお社でした。鳥居の形が珍しい(岡田会員)、瓦にウサギや波が(小松理事長)など、ここだけでもかなりの盛り上がりでした。

名もなき社を参拝。灯篭には牛頭天王/瓦にはウサギや波、モミジも

裏参道を通って境内へ向かいます。ここで初めて地元の方と遭遇しました。参拝者の案内や車の誘導などを行なっていましたが、集合写真の撮影を快く引き受けてくださいました。(前乗りしていた野津さんは後半にアップで登場します!)祭りのパンフレットを受け取って境内に入り、まずは本殿を参拝。

参道入り口にて記念撮影
瀧樹神社について
本殿は並宮:手前が瀧樹神社、奥が天満宮

瀧樹神社には獅子頭が飾られていました。祭礼での獅子舞はありませんでしたが、昔は獅子舞もあったのかもしれません。ちょうど神輿への御霊遷しがはじまりました。瀧樹神社と天満宮の二柱の御霊を神輿に遷していました。参列者は誰もおらず、都草会員のみが見守る中で行われました。

御霊遷しと剣鉾飾り

拝殿前には2基の剣鉾(瀧樹大明神、瀧樹天満宮)が飾られていました。外観から約200年前のものと考えられ、竿の形状からも昔は差して巡行していたのではと思われます。周囲には四神旗もあるなど、京都の祭りとの共通点が多く見られました。
神幸列の到着まで時間があるので、境内のスポットを見学しました。

写真下「倭姫命斎王御禊所碑」
奥に見えるのが禊をしていた野洲川

御神木の天狗杉は樹齢600〜700年。周囲は絶滅危惧種であるユキワリイチゲの群生地なのです。3月30日に下見に訪れた際、偶然にもユキワリイチゲが満開状態でした。条件が揃わないと見られないという貴重な光景でした。その時の写真もご覧ください。

天狗杉とユキワリイチゲの花

<ユキワリイチゲ・雪割一華> キンポウゲ科の多年草。秋に出た葉が越冬するため、雪の中で既に芽が出ていることからこの名がついたという説あり。開花は3~4月で、直径3~4センチの薄紫の花が1輪だけ上向きに咲く。地面を覆うように群生する。

境内に戻ってここからは各自自由見学となりました。時間になると宮司さんを先頭にまず「日・月・弓」の3基の傘鉾が入ってきました。

境内にはユネスコ登録記念の大きな旗

続いて肩車された踊り子がやってきて、ケンケト踊りが披露されました。「馬場踊り」といわれるもので、前に進みながら踊る形式です。四条傘鉾の踊り方とほぼ一緒ですが、「ケンケト、ケンケト」という掛け声や囃子のリズムなどはまったく違うものでした。(四条傘鉾のお囃子は祇園囃子を基に新たに作られたものです。)

ケンケト踊り「馬場踊り」

踊り子は小学生が担当し、3つの地区が毎年順番に担当します。前野地区と岩室地区では、棒振り2人・鉦1人・幣かぎ1人・小太鼓2人・ササラ2人の計8人で行います。徳原地区では幣かぎが居なく、鉦が2人で計8人と、担当地区によって構成が異なります。今年は幣かぎがいないので徳原地区なのでしょうか。
四条傘鉾は、シャグマをかぶって棒を持つ棒振り2人と、花笠姿の鉦・太鼓・ササラの各楽器を持った2人ずつ計8名の踊り手達が2組です。

上:ケンケト踊り、下:四条傘鉾棒振り踊り

拝殿前の階段で踊り子は再び肩車され「花笠(笠籠)」を待ちます。踊り子は踊っている時以外は長刀鉾稚児のように地に足をつけないようです。

肩車するのはお父さんの役目

続いて「花笠」がやってきます。実はこの周辺のお祭りはこちらがメインなのです。「ハナバイ(花奪い)」といって、文字通り奉納される「花」を奪い合うのです。長い竹を持つのが「警護役」で、花を奪う者を近づけまいと周囲で竹を打ち鳴らします。地区ごとに花笠が出されていますが、地区の最初と最後の花笠は「奉納」といって、奪うことができず、踊り子たちに直接届けられます。

「ハナバイ(花奪い)」はかなり激しい争奪戦

隙を見て花笠に駆け寄って「花」を奪うのですが、あっという間に人が殺到!花籠は倒されて子供も含めての奪い合いになります。参加する多くの人は軍手をはめていて、怪我人が出るのは当たり前とのことでした。しかし、果敢に挑んで花をゲットできた会員さんも多数いました。

戦利品を手に記念撮影

花笠の赤い花は、持ち帰って玄関や神棚に飾ると厄除け、疫病よけになるそうです。ほかにタオルや箱に入った品物、熨斗袋などがあります。熨斗袋には500円玉、千円札が1~3枚入っていることもあるそうです。

これが終わると肩車した踊り子が本殿前に進み、ケンケト踊りの「宮踊り」を奉納します。瀧樹神社前で宮踊り、瀧樹神社を馬場踊りで一周。一旦外に出て、再び天満宮前で宮踊り、天満宮を馬場踊りで一周という構成でした。祇園祭・四条傘鉾の踊りは馬場踊りを基にしていて、宮踊りの形式は見られません。

宮踊りは棒振りが左右に別れて踊る

これにてケンケト踊り奉納は終了(とおもわれましたがまだ続きました)。コロナ禍で久々の通常開催のためか予定より30分以上遅れていました。ここで帰る人、神輿の出発まで見る人、頓宮を見学する人に別れました。

境内では「シュウシ」と呼ばれる祝宴が地区ごとに行われていました。踊り子を出す地区は周りの提灯も盛大でした。踊り子さんは頭の被り物を取ってホッとした様子でお菓子やジュースを頬張っていました。大人は缶ビールで乾杯。
その最中に子供神輿が拝殿を廻って裏参道から出発し、氏子地域を巡るそうです。境内に戻るとすでに片付けが始まっていました。片付けが終わると社務所前でケンケト踊りが奉納され、神輿が拝殿を廻って降りてきました。神輿の前で再びケンケト踊りが行われるといよいよ出御です。

子供神輿の出発と神輿前でのケンケト踊り奉納

列は宮司さん、傘鉾、踊り子、神輿の順。すぐ近くの御旅所で神事が始まりました。通常は御霊を乗せた神輿がメインになるはずですが、御旅所には別の祭壇が設けられており、そこに向かって拝礼やケンケト踊りの奉納が行われていました。その間、神輿は参道で待機。この後は踊り子と神輿が氏子地域を巡り、各地区でケンケト踊りが披露されるそうです。踊り子さん頑張れ。

御旅所祭:祭壇には獅子頭

頓宮の見学の方はまず、倭姫命の6番目の遷座地とされる「甲可日雲宮」を参拝。この地で4年間天照大御神を斎奉された(「倭姫命世記」)という元伊勢候補地のひとつです。横にあるのは稲荷社とのことです。

続いて近くの「垂水斎王頓宮跡」へ移動。伊勢参道が出来て以降、378年間に31人の斎王が宿泊されたという記述が残っています。発掘調査で建物跡、井戸跡などが発見され頓宮跡に比定されました。京都を出た群行は、「勢多」・「甲賀」・「垂水」・「鈴鹿」・「一志」にそれぞれ一泊されて伊勢まで行かれたのだそうですが、現在明確に検証されている頓宮跡地は垂水頓宮だけです。

左上:甲可日雲宮、右上:川田神社、下:垂水斎王頓宮跡

少し歩いて「川田神社」へ
『仁和元年四月伊勢国滝原大神を此の地に勧請して川田神社滝大明神と称し、明治九年社格制定の時、倭姫命の御禊の川である白川の名称により川田神社と改号された』伝承内容が一部瀧樹神社とも被ります。ちなみに瀧樹神社は東前野、川田神社は隣の新前野の神社です。

当地のケンケト踊りは、中世に京の風流踊りを真似て始まったものです。いまだにその特徴を良く残しているということから四条傘鉾の復興の参考にされました。祭りの形態も京の特徴をよく残していることが今回の見学会でも見受けられました。御旅所祭など京都の祭りと違う点は、祭神のあり方などの違いにあるのかとも感じました。
今回の見学会を踏まえて、今年の祇園祭では四条傘鉾の棒振り踊りに注目です。

報告:八木澤哲雄
写真:八木澤哲雄、小松香織
広報:熊谷喜輝

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