京都学・歴彩館府民協働連続講座 第18回都草講演会(2026.6.14)
京都学・歴彩館府民協働連続講座 第18回都草講演会(2026.6.14)
日時:2026年6月14日(日) 午後2時〜午後4時
場所:京都府立京都学・歴彩館 大ホール
テーマ:皇室の仏教信仰のゆくえ —明治維新と泉涌寺—
講師:高木 博志 氏(京都大学名誉教授 日本近現代の文化史)
参加者:260名
【第一部】 明治維新と宮中における宗教の変容
【第二部】 近代の泉涌寺に見る皇室の仏教信仰
明治維新以降、神道一色に見られがちな皇室が、実は明治〜昭和期にかけても深い仏教信仰を持ち続けていた背景について、泉涌寺(せんにゅうじ)という視点からお話をされました。

講演する高木博志先生
明治4年(1871年)の神仏分離により、京都御所から仏間(お黒戸)が泉涌寺に移され、歴代天皇の仏式のお墓が神道に読み替えられるなど、皇室の仏教色が制度上は薄れましたが、明治から昭和期にかけても、昭憲皇太后・貞明皇后・皇族・女官などは、東京の皇居においても篤い仏教信仰を持ち続けておられました。 明治天皇が自身の崩御後のあり方について、公的な東京での式典とは別に、生まれ故郷である京都への強いこだわりを持っておられたことが資料からわかってきました。近代皇室が公的には国家神道を軸としながらも、天皇個人の内面には京都という伝統の地への強い憧憬があったそうです。

講演する高木博志先生
江戸時代の天皇は身近な存在であり、京都の町や地域とのつながりもあり、庶民にとっての身近な存在でした。また 節分や灯籠、即位式の拝観などを通じて、庶民との行き来もありました。 天皇は仏教徒であり、国土の安泰を願う儀式(後七日御修法(ごしちにちみしほ)など)や、泉涌寺・二尊院・大徳寺などの寺院、神仏習合の権門(延暦寺・東寺など)と密接に繋がっていました。 禁裏御料(皇室領)の山城国(京都)への集中、門跡寺院制度、さらに嵐山や宇治といった名所・旧跡と朝廷文化の関わりなど、朝廷文化は京都の地に深く根ざしていたことが説明されました。

都草講演会会場
明治維新と天皇については、資料をもとに皇室の菩提寺である泉涌寺を軸に、近世(江戸時代)から明治維新期にかけての天皇の葬送儀礼の変遷と、維新後の神仏分離・上知令(土地没収)による寺院の変容についてのお話を聴きました。
明治維新以降、神仏分離などにより皇室の公的な儀礼は神道中心へと移行していきましたが、皇后や皇太后、天皇の生母といった皇室の私的な領域(奥)においては、依然として泉涌寺を通じた深い仏教信仰や祈祷(病気平癒など)が重要な役割を果たしていたことが分かってきました。今後も新たな資料が見つかり、更に詳しく解き明かされることが期待されます。

司会の岸本幸子副理事長

受付風景
参加者は京都府内のみならず、遠方(岐阜、宮城、福井、兵庫、奈良、大阪、滋賀)からも含め、260名もの方々にご参加いただき、盛況のなかでの開催となりました。(会員 西條貴子)
(写真 須田信夫)
(広報 須田信夫)