news

トピックス

京都学・歴彩館府民協働連続講座 第14回都草講演会(2024.6.16)

2024.06.20

京都学・歴彩館府民協働連続講座 第14回都草講演会(2024.6.16)

日時:2024年6月16日(日)

場所:京都府立京都学・歴彩館大ホール

講演:戸部博氏(京都府立植物園長)

テーマ:「京都府立植物園100年の歩み、進化を知ると植物が面白い」

参加者:211名

 

今年で設立100年となった京都府立植物園の園長である戸部博先生から、1部は植物園の100年間の歩みを2部は植物進化の面白さをお聞きしました。
 

講演する戸部博園長

 

まずスクリーンに映し出された植物園設立以前の風景、自然の原野の中で畑作をしているのどかな景色を現在と比べてみると、この100年間の大変貌に驚きました。

次に植物園の入口近くにある設立記念碑に記された碑文「太平有象」、戸部園長によると、その下には「この植物園ができたのは、優れた役人の大森知事と三井家のおかげである」という意味のことが書かれているとのことでした。

次にその設立にいたるまでの数々の困難な出来事があり、運良くその完成に至った事を詳細に説明されました。
 

講演会場

 

当初、大正天皇の「大典記念京都大博覧会」開催のために土地を取得しましたが、観客輸送のための鉄道が資金不足で敷設できなくなり、博覧会が中止となりました。その土地を利用するため、三井家からの2度の寄付を基に、当時の大森鍾一京都府知事の尽力で、日本初の「大典記念京都植物園」が開園しました。この時に協議を重ねた一人が欧米の植物園を見てまわり、その見識が充分にあった著名な建築家の武田五一氏であったことを知りました。

 

1923年大正天皇大典記念日には一般公開となり、初日にはなんと3万5千人(現在の一日最高入場者数の倍近い人数)だったそうです。温室の鉢はひっくり返され、柵は壊されたり、植物は持っていかれたりしたという数々のエピソードは、当時の人々にとってこのような植物園はとても衝撃的な出来事であったことを物語っています。

大森知事と、武田五一、それに三井家の多額の寄付によって今の植物園が出来上ったという話はとても興味深いものでした。

 

第二次大戦時は菜園にされたり、戦後は連合軍に接収されたりの曲折を経て、1961年には再公開されることになりました。

日本の公立植物園では一番古い植物園であり、昨年は80万人をこえる入場者数だったことをお聞きして、府民の誇るべき植物園として大切に守っていきたいと思いました。またこれからの100年に向けた新たな取り組みも考えられています。
 

講演会場

 

第2部では植物の進化を図で示しながらかなり専門的なお話となりました。

進化の足跡は化石から知ることができ、植物でも進化が起きること、遺伝子の突然変異、等々あり、植物は35億年前からの歴史があると知って驚きました。

想像をはるかに超えるスケールの植物の歴史話でしたが、最後に葵祭で身近な植物である二葉葵の話で、それをロシア人が長崎の出島から持ち帰り、ロシアのサンクトペテルブルクにその標本があると聞いて驚きました。

 

本日の講演を聴いて、春夏秋冬の景色を愉しむ散策だけではなく、これからは歩きながら身近な植物の生き方を観察してみようと思いました。(会員 西條貴子)
 

司会を務めた岸本幸子副理事長

 

受付

 

(広報 須田信夫)
(写真 須田信夫)