旧議場土曜講座 1月は「秀頼が京都に残したもの」(2023.1.21)
旧議場土曜講座 1月は「秀頼が京都に残したもの」(2023.1.21)
旧議場土曜講座 1月は奥西不二会員による「秀頼が京都に残したもの」でした。
はじまりは、数年前に嵯峨清凉寺を訪ねた時に「秀頼公の墓」と称するものを見つけた時でした。なぜここに秀頼の墓があるのかが気になり、調べていくうちに彼が生きた時代を見直しました。するとその時代に造られて今に残る寺社の数々が後世に大きな影響を与えていることを知りました。
まず秀吉が残したものを検証し、その時代が黄金の日々であったこと。亡くなった後に家臣団の分裂から関ケ原(1600年)の合戦があり、それからの秀頼の政治的立場を考えみますと、依然としてそれなりの存在感があったことを確認しました。結果的には家康の謀略によって大坂夏の陣(1615年)で自害することになりますが、その15年間に残されたものは応仁・文明の乱の後に荒廃した京都の再建のきっかけをつくった。それが徳川三代に受け継がれ、今日では世界遺産として存在する寺社になっています。またその陰で活躍した三人のキーマンがいることも知りました。

講演する奥西不二会員
教科書的には織豊時代の次は江戸時代になった、としてありますが、あらためてその間に秀頼の時代があったことを見直してほしいと思うようになりました。またこの時代は絵画では長谷川等伯や狩野探幽、陶芸では野々村仁清や楽家、書では本阿弥光悦などなど、多くの天才によって絢爛な桃山文化が花開いたことも見逃せません。

講演する奥西不二会員
おわりに、私は秀頼の時代が京都にとっては「奇跡の15年」であったと思いはじめているところです。(会員 奥西不二)

会場の京都府庁旧本館旧議場
旧議場土曜講座
(広報 須田信夫)
(写真 須田信夫)