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活動内容

わくわく倶楽部(フィールドワーク) 向日市 桜 散策(22.4.4)

2022.04.09

わくわく倶楽部(フィールドワーク) 向日市 桜 散策

日 時:令和4年4月4日(月)10:00~12:00
参加者:19名
コース:西向日駅~大極殿公園~向日神社~元稲荷古墳~桜の園~東向日駅

前日まで予報に傘マークがつき、催行できるか心配しましたが、思いのほか当日は朝から晴れ渡り、絶好のお花見日和となりました。

◆西向日駅西改札口付近
この辺りは、まさに長岡京の中心だった場所です。ここからほんの少し歩くだけで、朝堂院跡に着きます。

阪急西向日駅西口にて

その向かいの住宅の生垣には、昭和30年1月に中山修一によって発見された朝堂院会昌門跡を示す小さな碑が立っております。この遺構の発見が、幻の都だと言われ続けていた長岡京の存在を証明するきっかけになったのです。

長岡宮朝堂院会昌門跡の石碑

大極殿跡公園
入口には、宝幢(ほうどう)と呼ばれる朝賀の儀式の際に立てられる柱が復元されています。
宝幢については、岡田会員が研究されておられ、いずれ成果が発表されるそうで楽しみです。
岡本会員の写真屋さんさながらの奮闘のおかげで、素敵な写真が撮れました。

宝幢

満開の桜の下で記念撮影

向日神社

向日神社本殿

創建は718年。延喜式神名帳に記載がある古社です。
昔の社殿は南を向いておりました。(安永9年(1780)刊『都名所図会』では南向きに描かれています。)現在は、参道に向き合う東向きに変わっております。神社の古文書に天保2年(1831)から天保14年(1842)の大改修時に変えたと書かれています。
明治神宮の本殿は、向日神社の本殿を1.5倍に設計して建立したそうです。

向日神社入口

「西国街道」
向日神社前の街道(西国街道)は秀吉政権の時に整備され、それに伴い新しい町の形成が許されました。向日町の誕生です。
現在の向日神社の前の道路は、通称「物集女街道」と呼ばれる府道67号西京高槻線です。

「勝山」
豊臣秀吉は朝鮮出兵の折、西国街道を進軍しました。
秀吉が向日神社前で休憩を取った時、そこから見える山の名前をたずねられ、とっさに機転をきかし「勝山(かつやま)です」と答えたところ、秀吉が「戦いの前になんと縁起の良い名だ」と言って、上機嫌になったという話が伝わります。
現在でも勝山中学校、勝山公園と名称が使われ、向日神社の境内にもその名がついた勝山稲荷神社があります。 

勝山稲荷神社

「六人部(むとべ)氏」
六人部氏は、代々向日神社の宮司をされており、現在は、六人部是継(よしつぐ)氏で95代目になります。
幕末の90代宮司となりました是香(よしか)は、国学者で尊王攘夷思想に大きく影響を与え、岩倉具視、坂本龍馬など勤王の志士たちと親交がありました。
また、是香は参道の整備を行いそれまで植えられていた松を山桜に変えました。現在の姿になったのは昭和に入ってからで、寄付によってソメイヨシノと楓が植えられたそうです。
参道入口の石垣に、瓢箪の形をした石が埋め込まれています。

向日神社参道の桜並木

瓢箪の形をした石垣

◆元稲荷古墳(3世紀末の古墳時代前期の古墳・前方後方墳) 
この場所から京都市内が一望できます。
京都タワーもしっかり望めました。
桓武天皇もここから京都盆地を眺め、平安京への遷都を考えたのでしょうか。

元稲荷古墳

古墳上から京都タワーを臨む

◆桜の園
向日神社の北の鳥居をくぐると、急に視界が開けて府営向日台団地を見下ろすことができます。この道の脇はかなり深く切り立った断崖になっています。この団地が建っているあたりに、かつては、桜の苗を育てる「桜苗圃(おうびょうほ)」がありました。昭和9年から笹部新太郎氏が様々な品種の桜を育てていたのです。しかし、昭和36年に名神高速道路建設用の土砂採取地に選ばれ、26年間育て続けてきた桜苗圃が、無残にも崩し壊されてしまったのです。
もう現在の景色からは、桜苗圃があったことを想像することすらできません。
水上勉の『桜守』は、この場所が舞台となり、笹部新太郎がモデルになっております。実際の出来事が、かなり事実に近い形で取り入れられているそうです。
平成25年に地元の有志によって、笹部氏ゆかりの山桜20種80本の苗木が植えられました。現在はまだひょろりとしていますが、いずれ大きく育ち桜並木となって私達の目を楽しませてくれることでしょう。

桜の園と桜守

桜の園に咲く桜

西日本で一番面積が小さい向日市の散策はいかがでしたか。
今回は、阪急線西側だけでしたが、東側にも桜の名所があります。
長岡京の史跡巡りを兼ねて散策するのもお勧めです。

報告:植村多賀子会員
写真撮影:岡本正二会員・熊谷喜輝
広報部:熊谷喜輝