第109回 歴史探訪会 東部会「山門を入れば《異国ぞ》萬福寺」(2024.3.28)
第109回 歴史探訪会 東部会「山門を入れば《異国ぞ》萬福寺」(2024.3.28)
日 時:令和6年3月28日(木) 12時30分受付 13時出発~ 曇り
集合場所:萬福寺正門前
参加人数:48名(スタッフ 9名含む)
コース:総門→三門→通玄門→開山堂→天王殿→売茶堂→鐘楼→伽藍堂→齊堂→大雄宝殿→法堂→禅堂→祖師堂→鼓楼→天王殿(解散)
今年の冬は暖冬で桜の開花も早いと予想されていましたので、花見も兼ねての歴史探訪をと企画しましたが、その後の気温に恵まれず開花前の歴史探訪となりました。
しかし、午後から雨天との天気予報にもかかわらず、歴探終了まで曇り空であったことは幸運だったように思います。
・最初に萬福寺の概要(隠元禅師、開創経緯、伽藍配置)について説明がありました。
【駒蹄影園跡碑(こまのあしかげえんのあとひ)】
高山寺の茶の種を宇治に移植する際、明恵上人が蒔き方を指導した和歌の碑について説明をしました。
【総門】
1693年の再建で、中央の屋根を高くし左右を一段低くした中国風の門で、屋根には魔伽羅というインド神話に出てくる想像上の動物(鯱ではありません足がある)や扁額(第一義)の解説をしました。
【参道、菊舎句碑】
総門をくぐると両側を石條といわれる長方形の縁石で挟み、真ん中に四角い平石を菱形に並べた参道が法堂まで続いています。
この四角い石は龍の背中の鱗を表すといわれ、この上を歩けるのは住持だけで一般僧は端を歩くそうです。
皆さんも参拝の時は端を歩きましょう。
邪鬼が激突して退散するという影壁の前には、菊舎尼の句碑『山門を出れば日本ぞ茶摘うた』があります。いざ中国へ!!
【三門】
1678年、伽藍最後に建立された三間三戸の大門です。中国風の火焔宝珠や太鼓型礎石が特徴です。
【開山堂】
通玄門を通ると氷裂紋の石畳、左手には隠元住持の隠居所を見て開山堂へ。
開山隠元像、扁額、卍崩しの勾欄や桃戸の説明から、右マンジ・左マンジ・ヒトラーの鍵十字と参考になる話がありました。
【寿塔、亀趺(きふ)】
寿塔とは生前に建立する墳墓のことです。隠元禅師の髭や杖が残されています。
傍らには隠元禅師の行跡略歴が刻まれた亀趺が建っています。
【中和園(ちゅうかえん)】
寺内唯一の庭園で、中和門院前子(ちゅうかもんいんさきこ)の大和田御殿の屋敷跡と言われています。
【天王殿】
1668年建立。
日本禅には見られない中国禅独特の施設で、弥勒菩薩の化身とされる布袋尊が安置されています。
建材には日本建築では珍しいチーク材が使用されています。
また、四隅には四天王像、裏手にはチベット探検の河口慧海を記念したヒマラヤ杉が植えられています。
【売茶堂】
現在の煎茶を普及した高遊外(売茶翁)は萬福寺の末寺佐賀の龍津寺(りゅうしんじ)(黄檗宗)の僧侶でした。
晩年に日本初の喫茶店「通仙亭」を構え庶民に煎茶を広めました。
【萬福寺の鳴物】
寺内は広いので日常の仕事や行事、儀式などの時刻を知らせる方法として、鐘、太鼓、巡照板、開梆(かいぱん)、雲版等を使用して集団の統制を行っています。
【萬福寺の残した文化】
休憩時には、中国語で読む萬福寺流の読経や、梵唄(ぼんばい)と呼ばれる、鉦や太鼓などの鳴り物に合わせて節をつけた読経の様子をボイスレコーダーの音声で聞いて頂きました。
【大雄宝殿(だいおうほうでん)】
日本禅寺の仏殿に該当する建物です。
仏教の祖釈迦如来像と脇侍には法統を継いだ迦葉(かしょう)尊者、阿難尊者像が安置されています。
周りには十八羅漢像が圧巻です。十八羅漢の一人、チューダパンタカは、大変物覚えが悪かったのですが、お釈迦様から教えられた「塵を除く、垢を除く」という言葉を唱えながら一心に掃除をし、ついに悟りを開きました。
【法堂】
禅寺で最も重要な建築物で住持の説法等の場所です。扁額は「獅子吼(ししく)」
ここで、禅宗とは、日本禅及び中国禅の系譜、その相違点等の説明を行いました。
【選佛場】(禅堂)
内部の様子が見られないので、写真で内部の白衣観音像を見て頂きました。
日本の禅堂では文殊菩薩ですが、こちらは中国流となっています。
後で気づいたのですが、入口に『止静』とあったので内部は座禅中だったかも?怒られなかったが騒がしくしてご迷惑を掛けました。
【解散】
その後、天王殿の前まで移動し、参加者の皆さんで記念写真を撮りました。(会員 丹羽氏昭)
(広報 須田信夫)
(写真 須田信夫)