第106回歴史探訪会 ~湖族のまち・本堅田を訪ねて!~ (2023.9.28)
第106回歴史探訪会 ~湖族のまち・本堅田を訪ねて!~ (2023.9.28)
(日時):令和5年9月28日(木)
(コース):JR堅田駅⇒堅田内湖⇒居初家(天然図画亭庭園)⇒
祥瑞寺(一休修行の寺)⇒十六夜公園(浮御堂)⇒伊豆神社⇒
光徳寺⇒本福寺(蓮如本願寺跡)
(参加人員):44名(会員35名、+スタッフ9名)
(歴探結果概要)
9月下旬であるにも関わらず、30℃超えの暑い中で、熱中症に配慮しながらの歴探となりました。
本堅田は堅田駅からは遠く琵琶湖に面した地域であり、古くから漁業や船による資材運搬が営まれ、下鴨神社の御厨に指定されてからは、漁業権や航行権を一手に握り、膨大な利益を得るようになります。
比叡山延暦寺がこの地域を荘園(堅田荘)として支配し始めると、武士階級からなる殿原衆(とのばらしゅう)と漁民、商人などからなる全人衆(まろうどしゅう)が協力し琵琶湖最大の自治組織(堅田湖族)を作り上げ、対抗して行きます。
全人衆は、「堅田門徒」と称せられるほど強く蓮如を支持しており、「寛正の法難」に際し、蓮如を匿ったことにより、延暦寺などの手により「まち」全域が焼き討ちに会うことになります。
本堅田までの道中、喜劇会の「志賀廼家淡海」、淡水真珠養殖が行われている「堅田内湖」などについて説明(担当:野津隆)
居初家(担当:酒井源弘)下鴨神社の供御人の系図を引く旧家で、茶人など文化人との交流があり、書院と湖東の山並みを借景とする名園があります。
祥瑞寺(担当:松若忠雄)一休禅師が青年期に修行した寺。殿原衆の尽力により禅寺として建立され、焼失後、昭和8年に再建されたもので、鎌倉期の禅寺の建築様式を残しています。
十六夜公園(担当:樋口千賀子)松尾芭蕉の紀行文「堅田十六夜の弁」に由来し、平成7年に開園された公園で公園からは「浮御堂」が見られます。
伊豆神社(担当:横井礼子)殿原衆と全人衆の自治組織(宮座)が置かれた神社で、葵祭では、前日の14日に「献饌供御人行列」(下鴨神社に奉納する琵琶湖のフナを運ぶ)儀式が行われます。
光徳寺(担当:伊藤義男)蓮如が「寛正の法難」の際、三井寺に預けた「宗祖親鸞の御真影」を熱心な堅田門徒である漁民の「堅田源兵衛親子」が首を差し出して返却してもらおうとしたときの像があります。
本福寺(担当:野津隆)「寛正の法難」の際、蓮如が浄土真宗再起の本拠地としたお寺です。
※終了後、一部の参加者が浮御堂(海門山満月寺)を見て行かれました。
(報告 伊藤義男)
(広報 須田信夫)
(写真 須田信夫)