第96回歴史探訪会 伏見深草部会 『院政期最大の遺跡 鳥羽離宮跡を訪ねて』(2022.4.25)
第96回歴史探訪会 伏見深草部会 『院政期最大の遺跡 鳥羽離宮跡を訪ねて』(2022.4.25)
日 時 令和4年4月25日(月)12時30分受付 13時出発
集合場所 地下鉄(近鉄)竹田駅南改札口
コース 近衛天皇陵~安楽寿院~鳥羽天皇陵~北向山不動院~白河天皇陵~西行寺跡
~真幡寸神社~城南宮~小枝橋~秋ノ山(解散)
参加者 47名(本部2名、伏見深草部会6名、会員39名)
天 候 快晴
今回のコースは、「院政期最大の遺跡 鳥羽離宮跡を訪ねて」と題して、13年ぶりに行いました。
会員40名限定でメール又はファックスでの事前申込みでしたが、すぐに満員でキャンセル待ちになりました。
コロナ対策として、ワイヤレスマイク・イヤホンを使用した上、ソーシャルディスタンスをとる等、感染防止に努めました。
当日の天気は、週間予報での雨の予報を裏切り、一転、快晴の中で実施することができました。
しかし、気温が約30度の真夏日となりましたので、熱中症予防のため、水分補給をしていただくとともに、できるだけ日陰の涼しい場所で説明を聞いていただきました。
鳥羽離宮は、応徳3年(1086)すでに白河上皇が準備から造営を始め、孫の鳥羽上皇との約70年間で6つの離宮を完成させ、その広大さは、東西約1.5km、南北約1kmで鴨川(この頃は今より東)と桂川の合流地点一帯でした。
遺跡の御陵(墓所)は、近衛天皇陵、鳥羽天皇陵、白河天皇陵を巡り、それらはすべて「塔」の跡。
鳥羽上皇の安楽寿院(御堂)が今に残る変遷。面白いのは、保元の乱勃発の要因となった崇徳天皇(子?)を「叔父子(おじご)」と呼んだと云う鳥羽上皇の言葉。
真幡寸神社(まはたぎ~軍旗がはたたぐから)と神功皇后。
城南宮の熊野御幸の「方違(かたたがえ)」は有名。また、ここの神紋は「三光紋」で神功皇后と同じ。
最後に「鳥羽伏見の戦い」の発端となった小枝橋、一発の砲弾が「秋ノ山」から発砲され明治維新となった。そして、武士の世が終わりを告げるが、元は白河法皇が最初にここに「秋ノ山」を造られ、「北面の武士」を設置されました。皮肉にも白河法皇が造られた離宮の跡が約800年の武士の世を終わらせたともいえます。
さて、今回驚いたことは、新しい会員の方が多く見受けられ、熱心にメモを取られている方や移動の途中に質問される方が多かったこと。猛暑の中、最後まで熱心にお聴きいただいた参加者の方々に感謝いたします。これも充実した内容であったと思い、内輪ですが当部会のスタッフにも感謝したいと思います。皆様、お疲れさまでした。
歴史探訪会 伏見深草部会 部長 森 幸弘
(広報 須田信夫)
(写真 奥本徹夫、須田信夫)