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活動内容

第124回歴史探訪会 伏見深草部会「新京極界隈の社寺を巡る」(2026.5.29)

2026.06.01

第124回歴史探訪会 伏見深草部会「新京極界隈の社寺を巡る」(2026.5.29)

 

日時:2026年5月29日(金) 13時開始~15時30分終了

コース:染殿院➟錦天満宮➟安養寺➟蛸薬師堂(永福寺)➟西光寺(寅薬師)➟誠心院➟誓願寺➟宝蔵寺➟矢田寺➟本能寺

参加費:500円

参加人数:37名

スタッフ数:伏見深草部会8名 本部2名 計47名

 

■最初の挨拶 岡本学部長

コースの概要と新京極が造られた経緯について簡単な案内。

三条通りから四条通りに至る約500mの通りを新京極通り言う。明治5年(1872)に京都府参事槇村正直(後の第2代京都府知事)によって現在の寺町通の東側に作られた。

東京遷都で衰退していた市民の士気をあげるべく、新たな通りを作った結果、現在では観光客向けのお土産店のほか、飲食店、ファッション洋品店などが軒を連ね賑やかな様相となっている。

 

岡本学部長がコースの概要と新京極が造られた経緯について説明

 

①染殿院 説明者:神山友代会員

平安時代に創建されたこのお寺は、弘法大師空海作と言われる「地蔵菩薩」を本尊とする。文徳天皇の女御である藤原明子がこの地蔵に祈願して、皇子(後の清和天皇)を生んだことから、染殿院と呼ばれるようになった。

 

神山友代会員が染殿院を説明

 

②錦天満宮 説明者:樋口千賀子会員

錦の天神さんとして親しまれている「錦天満宮」。古くは菅原是善の「旧邸菅原院」であったが、1003年には「歓喜寺」としてあらたに創建された。

時と共にいろんな場所に移ってきた経緯があるが、現在の社殿は明治23年(1890)に建てられた。

また、門前にある「からみくじ」は獅子が舞いながらおみくじを届ける仕掛け。近くにある平安時代に開かれたと言われる「具足小路」は時の変遷とともに「錦小路」と呼ばれるようになった。

 

樋口千賀子会員が錦天満宮を説明

 

③安養寺 説明者:桂田浩彰会員

お寺の境内が狭いため門前での案内となった。

平安時代の中期の建立であるが、奈良から京都へ移転。その後1580年に豊臣秀吉の都市計画により、この地に移った。

本尊は阿弥陀如来。蓮華の弁でできた台座が逆さに置いてある上に阿弥陀如来が立っていることから、「逆蓮花寺」とも呼ばれる。

 

安養寺の説明をする桂田浩彰会員

④蛸薬師堂(永福寺) 説明者:桂田浩彰会員

始まりは平安時代末期に林秀という富者が、伝教大師最澄が彫ったと言われる薬師如来の石像をお祀りする為に建立した御堂。

鎌倉時代になり善光という僧が、病気の母に蛸を求め、一心に薬師如来をお祈りする事により、母親の病気の平癒を成就する事ができた。この事からこの御堂は蛸薬師堂また如来は蛸薬師如来と呼ばれるようになった。

 

桂田浩彰会員が蛸薬師堂(永福寺) を説明

 

⑤西光寺(寅薬師) 説明者:岡本学会員

境内が狭いため、門前での説明となった。

創建年代は不明であるが、平安時代に弘法大師空海が一刀三礼で彫りあげたと言われる薬師如来の仏像。この仏像は寅の日・寅の刻に彫り上げられた事から、「寅薬師如来像」と呼ばれ、長く宮中で信仰された。

弘安3年(1280)に後宇多天皇より下賜され御倉堂として創建されたのが寺の始まりである。その後、何度も火災にあい焼失するが都度再建され、現在のお堂は1913年に再建されたもの。

 

岡本学会員が西光寺(寅薬師)を説明

 

⑥誠心院 説明者:安田富江会員

誠心院は上東門院彰子が法成寺東北院に小御堂を建て、和泉式部に与えたのが始まり。何度か移転の後、秀吉の時代に現在地へ移転した。

和泉式部は平安中期の歌人であり、また恋多き女性とも呼ばれ、その遍歴を綴ったのが「和泉式部日記」とも言われる。道長の家臣であった藤原保昌と再婚し娘の小式部内待を儲けた。

 

誠心院の説明をする安田富江会員

誠心院

⑦宝蔵寺 説明者:岡本学会員

開山は弘法大師空海。

文永6年(1269)如輪が元西壬生郷に復興したが、衰退し、天正9年(1581)玉阿律師が再興。秀吉の寺町整備により、現在の地に落ち着いた。

現在の本堂は昭和に再建された。伊藤若冲親族の墓、日本映画の父と呼ばれる「牧野省三」及び「笑福亭圓歌」の墓がある。若冲筆の「竹に雄鶏」「髑髏図」を有する。

 

宝蔵寺の説明をする岡本学会員

 

⑧誓願寺 説明者:大浦俊二会員

京都の中心地にあり、創建は飛鳥時代にまで遡り浄土門の聖地として、人々に愛され続けてきた。

誓願寺にゆかりのある人物も多く、「清少納言」、「和泉式部」、「松の丸殿」など女性たちからも深い信仰を集めた為、「女人往生の寺」とも称された。その他に、「扇塚」・「迷子道しるべ」等があり、落語の祖と言われる「策伝上人の肖像画」も有している。

 

誓願寺の説明をする大浦俊二会員

誓願寺

⑨矢田寺(矢田地蔵) 説明者:寺井敏信会員

最初五条坊門に創建されが、以後寺地を転々とし、天正7年(1579)に現在の地に移転した。

本尊は地蔵菩薩で、「送り鐘」、「カボチャ供養」で良く知られている。

地蔵菩薩は高さ2mの立像で、「代受苦菩薩」とも呼ばれ人々の信仰を集めている。また、送り鐘は死者の霊を迷わず冥土へ送る時に撞く鐘として人々から信仰され、「五山の送り火」の日には多くの参拝者が訪れる。

 

矢田寺(矢田地蔵)の説明をする寺井敏信会員

矢田寺

 

⑩本能寺 説明者:久世幸男会員

本能寺は日蓮宗のお寺で、応永22年(1415)に日隆上人が創建。その後、各地を転々として、油小路蛸薬師の地に在る時に、「本能寺の変」に遭遇する事になる。

現在の地に移転当時は、26もの塔頭を抱える広大な寺域を有していたが、明治の上知令により寺域は縮小した。寺宝の「本能寺切」は良く知られている。

 

本能寺の説明をする久世幸男会員

本能寺

 

最後に安田富江副部会長の挨拶と、新規加入メンバーである大浦俊二会員、桂田浩彰会員の紹介をして解散した。(会員 岡本学)

 

新規加入メンバーを紹介する安田富江副部会長

(写真 須田信夫)

(広報 須田信夫)