第117回 歴史探訪会 東部会「春爛漫の勝龍寺城を訪ねて」(2025.4.2)
第117回 歴史探訪会 東部会「春爛漫の勝龍寺城を訪ねて」(2025.4.2)
日 時:令和7年4月2日(水) 12時30分受付 13時出発~ 曇一時小雨
集合場所:JR長岡京駅東口改札前
参加人数:50名(スタッフ9名含む)
コース:神足神社→勝龍寺城土塁跡→勝竜寺城公園→老ヶ辻三連橋→西国街道→
JR長岡京駅東口(解散)
長岡京南部は京都中心部から少し離れてはいるものの、名勝も多く、特に、勝龍寺城や犬川河畔(老ヶ辻三連橋)は桜の名所です。当歴史探訪会では満開期であろう日に開催するよう計画を立てました。しかし、今年は桜の開花が遅れており、春爛漫までとはいかない状態になりましたが、皆さんには楽しんでいただけたものと思っています。

JR長岡京駅に集合
【神足神社】
JR長岡京駅の以前の名は「神足駅」です。この地の有史以来歴史と「神足」の名の由来、土豪神足氏の説明がありました。

神足遺跡の説明

神足神社
【土塁と空堀跡】
神足城からの空堀と土塁を利用し勝龍寺城の惣構えとした説明の後、実際の土塁を回り、横矢掛かりを勉強しました。

神足城の空堀と土塁
いざ勝龍寺城へ。途中ポツリポツリと小雨が、天気予報と違うと言っても傘を差すか差さないかの状態で移動できました。
【勝龍寺城隅櫓】
復元された勝龍寺城の全景が見える城の北東隅で勝龍寺城の歴史や特徴をお話し、東から南の堀と城郭に沿って歩きながら、近代城郭の原点となる意義深い城であることの説明がありました。

勝龍寺城隅櫓
【南面入口】
勝龍寺城の正門となっています。入口には城の謂れが掲載されており、防御方式としての枡形虎口の説明がありました。

勝龍寺城正門
これから勝龍寺城の城内に入ります。城内は公園となっています。
【忠興、玉像】
玉とは細川ガラシャのことです。細川藤孝の嫡男忠興と新婚生活を2年間この城で過しました。この勝竜寺城公園が整備された事を記念して、銅像やガラシャ祭り(毎年11月第2日曜日)が行われています。
銅像前では、ガラシャの生涯や細川家の血縁関係、銅像の作者等を説明しました。

細川忠興とガラシャ像
【北門跡】
北の枡形虎口門では当時の石垣が残っており、転用石による野面積の見学をすることができました。かたわらには、発掘の際転用石として使用されたお地蔵さんが並んでいました。

北の枡形虎口門
【西辺土塁】
周囲の城郭で西辺は上まで登れるので、足元に注意して登っていただきました。この城の西には沼田丸と言う出城があり、本丸との渡り通路があったこと、また左に行けば城の中で最も高い場所(近代城郭の最初の天守とされる)で、周辺地域が見渡せることを説明しました。

西辺土塁

勝龍寺城公園の桜
【資料館でトイレタイム】
資料館は太っ腹で入館料は無料です。資料を見て頂こうと時間を設けていましたが、時間が押していたのでトイレタイムのみで南門へ。
【南門】
勝竜寺城公園を出る際、南門虎口にある細川護貞氏揮毫の石柱、寧波市贈呈の雲龍石柱の説明がありました。

寧波市から贈呈された雲龍石柱
犬川河畔へ移動。途中、沼田丸の公園、堀の跡を説明しました。
【老ヶ辻三連橋】
少し早かったかもしれませんが、城内の桜はもう少しでしたが、犬川河畔は菜の花と桜のコラボで参加の皆さんに喜んでいただきました。

犬川河畔の菜の花
JR東海道本線の犬川橋梁はレンガ造りの三連橋で、明治9年開通から現在まで今も現役です。有名な南禅寺の水路閣の先駆けとなりました。

JR東海道本線の犬川橋梁
【西国街道】
西国街道は都の東寺口に繋がる歴史街道です。その歴史を説明し、町並みや石田家住宅等旧西国街道を移動しながら説明しました。

石田家住宅
【長岡京西口】
西口広場の桜の木の下で記念写真を撮り、解散しました。(会員 丹羽氏昭)

記念撮影
(写真 岡本正二、須田信夫)
(広報 須田信夫)