第116回都草歴史探訪会 伏見深草部会 ~願わくば 桜の下を山科へ~(2025.3.30)
第116回 都草歴史探訪会 伏見深草部会
『~願わくば 桜の下を山科へ~』
・日時 令和7年3月28日 12時30分集合 13:00出発~ 曇り
・集合場所 JR山科駅改札口前広場
・参加人数 39人(スタッフ 5名含む)
・コース概要
今年は桜の開花が例年に比べ早いとの予測でしたが、残念なことに、疎水の桜はまだつぼみのままでした。少し肌寒い中、全員無事最後の『毘沙門堂』までたどり着くことが出来ました。ご協力に感謝申し上げます。
JR山科駅改札口前広場で安田富江会員の挨拶及び注意事項の案内に始まり、最初の見学地である『安祥寺』に向かいました。

JR山科駅前に集合

挨拶及び注意事項の案内をする安田富江会員
安祥寺は平安時代初期に創建され、上寺、下寺と隆盛を極めましたが、早くに衰退し下寺のみ江戸時代に再建されました。

安祥寺薬医門
安祥寺では久世幸男会員が説明しました。
上寺、下寺の由緒と、『観音堂』で、一木造りで像高が252.5cmもある十一面観音像の説明を行いました。

安祥寺の説明をする久世幸男会員

観音堂
『地蔵堂』では御本尊の地蔵菩薩像の案内を行いました。

地蔵堂
また、『太子堂』弘法大師像及び恵運僧都像などを説明しました。

太子堂
『多宝塔跡』では1906年に焼失したが、既に国宝の五智如来像は京都国立博物館に寄託されていて、難を逃れた等を説明しました。

多宝塔跡
明治時代に京都の復興策として実施された琵琶湖疎水沿いを歩き、『瑞光院』を訪れました。

桜はまだ咲いていませんでしたが、菜の花がよく咲いている琵琶湖疎水
瑞光院の門前で久世幸男会員が案内。赤穂藩浅野家と瑞光院との関係及び境内に赤穂浪士46名の遺髪が祀られている経緯について説明しました。

瑞光院の説明をする久世幸男会員
その後、大聖歓喜天が祀られている『山科聖天双林院』へ。
境内があいにく工事中の爲、門前で樋口千賀子会員が説明しました。
江戸時代に双林院が創建された歴史、及び明治になり『山科聖天』と呼ばれるようになった背景を説明しました。

双林院の説明をする樋口千賀子会員
最後に急な階段を昇った先にある『山科毘沙門堂』を訪れました。本尊は毘沙門天で天台宗五箇室門跡寺院です。正式名称は『護法山安国院出雲寺』。

山科毘沙門堂の桜はまだ開花前
唐門の前で岡本学会員が『出雲寺』の現在に至るまでの歴史を中心に説明しました。

毘沙門堂の説明をする岡本学会員

毘沙門堂唐門
その後、お寺の方の案内があり、お寺の由緒及び本殿・霊殿・宸殿の説明を受けました。

毘沙門堂の説明をする案内の方
本殿は1665年徳川家の寄進よる建物で、唐門は日光東照宮の建築様式を残しています。霊殿は御所御霊屋の移築。天井に狩野主信策の『八方睨みの龍』が描かれています。宸殿は1693年御所の後西天皇の宮殿を移築したもので、障壁画116面はすべて、狩野探幽の養子で狩野益信によって描かれています。(会員 岡本学)
(写真 須田信夫)
(広報 須田信夫)