activity

活動内容

第114回歴史探訪会 南部会 「いざいざ紫式部の筆はしる石山寺へ!~境内を深掘り~」(2024.10.25)

2024.10.28

第114回歴史探訪会 南部会 (2024.10.25)「いざいざ紫式部の筆はしる石山寺へ!~境内を深掘り~」

【日時】令和6年10月25日(金)12:30(受付)13:00(出発)15:00(解散)
【集合場所】石山寺東大門前(緑地内)
【参加人員】参加者41名、スタッフ9名
【参加費】1,000円(石山寺拝観料を含む)

紫式部ゆかりの石山寺は、紫式部だけでなく、その時代時代における様々な人物とのかかわりがある堂宇や場所があります。そこで、今回は石山寺全体を深掘りしてみました。

《冒頭あいさつ》
中島孝和担当理事から、屋外における活動ではあらゆる事故を想定して、12月12日に開催する「救命講習会」への参加のお願いがなされました。
また、南部会スタッフの紹介を行うとともに、スタッフの募集を行いました。

南部会スタッフの紹介

 

《東大門》の説明~横井礼子会員
寺伝から東大門(ひがしだいもん)は、鎌倉時代、建久元年(1190)に源頼朝によって建立されたとされること、焼失を繰り返し、慶長期、淀殿による伽藍再建時に新築に近い大規模な修理が行われたこと、両脇の仁王像が、鎌倉時代の仏師運慶、湛慶作とされることなどの説明を行いました。

南大門前で説明

仁王像

 

《石山寺》の説明~野津隆会員
硅灰石の岩山の上にあること、創建が天平19年(747)、開祖が良弁僧正、西国三十三カ所観音霊場13番札所であることなどについて説明を行いました。

石山寺の説明

 

《くぐり岩》の説明~野津隆会員
硅灰石の穴ができているもので、穴をくぐると、願い事が叶うとされるパワースポットです。

くぐり岩

 

《観音堂・毘沙門堂・御影堂。硅灰石》の説明~伊藤義男会員
観音堂横の一本杉は御神木(3カ所)の一つであること、観音堂には33カ所の全ての観音さんが祀られていること、硅灰石は石灰岩と地中から突出してきた花崗岩の熱で出来上がったことなどについて説明を行いました。

観音堂の説明

観音堂横の一本杉

硅灰石

 

《三十八所権現社、蓮如堂》の説明~日野英子会員
三十八所権現社は、天智天皇までの歴代天皇を祀る石山寺の鎮守社であること、蓮如堂は三十八所権現社の拝殿であること、また、神事・仏事両方を兼ねること、明治になって、蓮如上人六歳の像を祀るようになり蓮如堂と呼ぶようになったことについて説明を行いました。

 

三十八所権現社の説明

 

《本堂》の説明~田中まさみ会員
本堂は承暦2年(1078)の大火で焼失し、その後、永長元年(1096)に内陣(正堂)が再建、慶長7年(1602)に淀殿の寄進により外陣(礼堂)が増築されたこと、硅灰石の岩盤にせり出して建ち、懸造であることなど。

石山寺本堂(奥)、左は蓮如堂

本堂の説明

本尊である如意輪観音は、本堂内陣の宮殿(くうでん)の厨子の中に安置されていて、日本で唯一の勅封秘仏とされ、33年に一度と天皇即位の翌年にのみ開帳されることなど。
本堂の東端にある東西二間続きの「源氏の間」は、紫式部が参籠し、「源氏物語」を起筆した場所と伝えられていることなどについて説明を行いました。

 

源氏の間の紫式部

《経蔵・紫式部供養塔・芭蕉の句碑》の説明~酒井源弘会員
経蔵は高床式の校倉造で、16世紀後期に建立されたとされ、かつては、「石山寺一切経」や「校倉聖教」などの経典類が収められていたこと、経蔵の床下の硅灰石の岩盤に座ると安産になると伝わる「安産の腰掛石」があること。
紫式部供養塔は、宝篋印塔(ほうきょういんとう)の笠を3つ重ねた珍しい層塔であり、初重の4面には仏像が彫られ、それぞれ相輪の代わりに宝珠を冠っていること。
松尾芭蕉が石山寺に度々訪れた芭蕉を偲んで、嘉永2年(1849)に信州の松岡斎梅朗が、芭蕉自らが記した「芭蕉自画賛句」(石山寺所蔵)と同内容の文字を刻む句碑建立したことなどについて説明を行いました。

 

紫式部供養塔の説明

《多宝塔》の説明~松若忠雄会員
源頼朝の寄進により建立されたと伝わる上下2層の多宝塔で、全国で6基の国宝の一つであること、多宝塔と五重塔(三重塔)との違い、今年6月の大雨の際雨漏りが見つかり、本尊の大日如来坐像(重要文化財)は、大津市歴史博物館に預けられ、堂内柱の壁画はシートを張り保護していることなどについて説明を行いました。

 

多宝塔の説明

《月見亭》の説明~日野英子会員
保元年間(1156~1158)、後白河天皇の行幸に際して建立、貞享4年(1687)に再建されたこと、日本三大名月鑑賞の地(大覚寺大沢池、奈良猿沢池)とされること、毎年、中秋の名月頃に「秋月祭」が開催されていること、紫式部も石山の秋月を楽しんだであろうことなどについて説明を行いました。

 

月見亭

《光堂》の説明~伊藤義男会員
源氏物語千年紀(平成20年)に石山を発祥の地とする東レ株式会社が、鎌倉時代に存在したとされる光堂を寄進したものであること、労災や大津市の空襲で亡くなった多数の方を慰霊することも目的とされたこと、本堂と同じ懸造の堂宇であること、本尊として阿弥陀如来坐像(鎌倉時代、重要文化財)、他に大日如来坐像(平安時代、重要文化財)、如意輪観世音菩薩坐像を祀っていることなどについて説明を行いました。

 

光堂

 

《下り道中》の説明~野津隆会員
ここから下りに入り、紫式部像、八大龍王社、無優園(庭園)を散策し、「天智天皇の石切場」が大津京時代から、飛鳥川原寺の中金堂の礎石などの採掘場所であったこと、「閼伽井屋(あかいや)」は、本尊の御座の下から湧き出ている井戸と伝えられ、本尊にお供えする水として使用されていること、また、清水寺の音羽の滝、長谷寺の長谷川も同じであることなどについて説明を行いました。

 

紫式部像を見学

八大龍王社

天智天皇の石切場

閼伽井屋(あかいや)

 

 

《終了あいさつ》
本日の参加者で地質学詳しい高木哲会員から、硅灰石が大昔の火山活動などで出来上がった珍しい岩(石)であるとの補足説明がなされました。

 

硅灰石の説明をする高木哲会員

御苑歴史散策担当の水本博理事から、11月24日の立命館朱雀キャンパスでの「講演会」及び12月1日の「歴史散策ツアー」への参加についてお願いがなされました。

山寺での散策であったため、多少体力面できつい面もありましたが、爽やかな天候に恵まれた歴史探訪会となりました。(専務理事 伊藤義男)

(写真 須田信夫)

(広報 須田信夫)