第7回都草不思議研究会の開催結果(10.3.14)
第7回都草不思議研究会の開催結果(10.3.14)
◆日 時:3月14日(日) 午前10時~12時
◆場 所:ひとまち交流館2階第1会議室
◆発表内容:
1.『青蓮院とその周辺の不思議(2)』 講師 理事長 坂本 孝志
2.『京の名称地蔵』 講師 都草会員 山本 喜康
3.『「京のお地蔵さんめぐり」調査チームの設置について』
都草理事 吉見誠一郎
◆参加人数:40名
◆参加費 :300円
★青蓮院周辺のお地蔵さんについて語る坂本理事長
去る1月16日、第6回都草不思議研究会では、青蓮院界隈の不思議の検討事例(1)として、
福井大作会員と吉見誠一郎理事からそれぞれ発表がありました。
今回の第7回では、その続き(2)として坂本理事長から、東山区粟田口青蓮院の北東
にある尊勝院の「米地蔵」と、同じく良恩寺に安置された「導引地蔵」についてのお話が
ありました。理事長は妙蓮尼さんからお話を聴いたそうです。
尊勝院(天台宗 本尊元三大師像)は、青蓮院とゆかりの深いお寺で、「米地蔵」はもとも
と明治初年に廃絶した金蔵寺(三条通白川橋の南東)から移されたもの。伝教大師が唐土
より将来したと伝える、高さ約1mの立像。胎内に籾粒が納入されていることから「米地蔵」
呼ばれている。米地蔵を拝むとお米に不自由しないと言われて、古くから庶民に親しまれ信
仰されているということです。
華頂山良恩寺(浄土宗西山派)地蔵堂の「導引地蔵」は、伝教大師と伝わる高さ約1mの立
像で、その由来は、粟田口火葬場に至る途中に地蔵尊があり葬列がその前を通る時引導を
受け、極楽浄土へ導き給うよう祈ったことから「導引地蔵」と呼ばれるようになったそうです。
1864年刊「花洛名勝図会」(1864年刊)に掲げられた金蔵寺と良恩寺を添えて下さいました。
このほか不思議なものとして、尊勝院本堂外陣におられる賓頭廬(びんずる)さんの前に
置かれた直径25cmの石についてのお話がありました。かつて、青蓮院の植髪堂で90歳
になられる尼さんが、おもかる石のような感じで占いをされていたようだとのことでした。
★京都の名称地蔵について語る山本会員
次に山本喜康さんから、「京都の名称地蔵」についてのお話がありました。
沢山のお地蔵さんの中から数体の名称地蔵の紹介がありました。まず上京区では、秀吉
・家康・光秀が武運祈願を行った愛宕山白雲寺の本尊愛宕将軍地蔵、藤原家隆・定家の
供養塔があり、そこから家隆山石像寺(かりゅうざんしゃくぞうじ)と号し、八寸釘と釘抜き
を揃えた小絵馬が奉納されて一般的には釘抜地蔵と呼ばれているものなど。中京区では、
腹痛で田植えが出来なかった農民に代わり、腰から下を泥まみれにし田植えをした泥足
地蔵、「千聰」さんのお庭にあり大変綺麗な御倉(腹帯)地蔵など。下京区では、徳川家康の
側室に世継ぎが誕生、明治天皇の生母が信仰し明治天皇の御誕生を得た世継地蔵、
お地蔵さんが掛け軸になっている掛軸地蔵など。名称地蔵のほんの一握りを説明された後、
続いて「京の六地蔵」に言及され、関連のものとして6色の色違いの御札の紹介がありました。
以前にNHKのラジオ番組、「ふれあいラジオセンター」の中で、全国のお地蔵さん名簿を
作るのに名前の付いたお地蔵さんを募集したことがあって、山本さんの資料が京都代表に
なり、釘抜き地蔵と目疾地蔵を取り上げられたことがあったそうです。こうした番組を通し
て同好の士、大阪の藤森誠三さんと出会えた喜びを語られ、その藤森さんが作成された
「京洛百地蔵尊番付」を見せて下さいました。
また山本さんは、民間の研究者の方々とも親交を深められてこられました。奥様が山本
さんのお姉さまと同級生という関係から、緑紅さんや泰彦さんに若い時から少なからぬ影響
を受けられたそうです。
竹村俊則さんもお隣の学区にお住まいだったということで、やはりお目にかかったことがあ
り、長田久男さんとは手紙の遣り取りをされたそうです。
そして山本さんは京都の名称地蔵について、アイウエオ順、所在別にまとめていますが、
出だしが「の」と「へ」で始まる名称地蔵は無いということです。沖縄県だけはお地蔵さんが
無いそうで、また中には美術品のようなお地蔵さんもあるそうです。8月23日、24日に祠
からお地蔵さんが出るので、出来るなら空から一斉に見てみたいと微笑まれました。引き
続きこれからも名前の付いたお地蔵さんを発掘したいと述べられました。
最後に、将棋の駒と盤を使ってのとても面白い遊び『お地蔵さん詣り』がありましたが、
すっかり忘れられてしまって残念に思ってますとのことでした。この機会に後世に伝え
たく、その遊び方の解説を添付しますので是非トライして下さいと話されました。