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活動内容

第112回研究発表会報告、豊田 博一 理事、高木 哲 会員(21.2.26)

2021.03.08
第112回研究発表会報告、豊田 博一 理事、高木 哲 会員(21.2.26)
 YouTube 期間限定 3月10日午前10時から3月16日午後5時まで
    メール会員のみ特別公開 
 
◆日 時:令和3年2月26午後1時10分~午後4時00分
 
◆場 所:ひとまち交流館 京都 3階
 
◆研究発表:1. 「小野篁の実像と伝説」 豊田 博一 理事
 
      2.京都の地質と京都盆地形成の歴史(京都に象がいた!) 高木 哲 会員
◆参加人数:ひとまち 36名(予約30名、スタップ6名)
 
 
 

第1部は、「小野篁の実像と伝説」 豊田 博一 理事です。

内容はこちらのPDFから
210308小野篁研究発表会概要

 

 
(理事 豊田 博一 )
 
 


 
 
第2部は、京都の地質と京都盆地形成の歴史(京都に象がいた!) 高木 哲 会員です。
 
 京都盆地の成り立ち
 日本の国土は、山が急峻で川も急流(外国人は日本の川は滝のようだと表現)です。
また説明いたしましたように、陸側のプレート(ユーラシアプレート)

が年間2㎝日本列島を押しており、海側のプレート(フイリッピンプレート、太平洋プレート)が年間4~8㎝日本列島を押しています。
東西両方から押し込まれているので地震が多く、山も押されて北アルプスなどは年間数ミリ上昇しています。
しかし川が急峻なため削られて、例えばダムや砂防ダムなどはすぐに土砂で浅くなってしまいます。日本には盆地が数多くあり、これは地震による陥没盆地といわれるものですが、最初は湖だった盆地も流れ込む川で土砂が溜まり、何らかの理由で水が流れてしまうと肥沃な盆地となります。

京都盆地も200万年前から宇治川、今出川、北山の順に大きな地震で陥没、そこに土砂が溜まって今の京都盆地が形成されました。したがって土砂は北に100m程度、南特に巨椋池周辺は900mほど土砂が溜まっています。土砂の下は固い基盤岩といわれるもので京都の場合は3億年ほど前にアジア大陸のヘリで積もった付加体(京都盆地の下は丹波帯という地質です)、といわれる岩が、今から1500万年前に今の日本列島に「流れ着いた」ものです。

そしてそれが多くの地震で陥没、ちょうど北から南に滑り台のような形状になったのです。その上に山々から土砂が流れ込んだのですが、基盤岩の「滑り台」の地形を受け継いでいますので、やはり南から北へと緩やかな「滑り台」状になっています。海抜でいうと東寺が23m、京都駅が30m、四条烏丸が38m、烏丸御池が43m、烏丸今出川が55m、烏丸北大路が70m、国際会館が90mと見事に「スロープ」を描いています。日本の盆地はこの構造盆地が多く、今は湖のところも数十万年で埋まってしまいます。(京都も山城湖の時代がありました)。例えば諏訪盆地の諏訪湖は平均水深が4.7mしかなくあと数百年でなくなってしまうといわれています。

もう一つ日本に多い湖はカルデラ湖といわれる火山の火口湖に水がたまったもので、これは山頂にあるため川が流入してないので半永久的に湖のままです。土砂もたまらないため深い湖が多く、田沢湖などは水深423mもあります。(阿蘇カルデラ盆地は京都盆地の2倍以上の広さで、600mの水深の湖でしたが西側のカルデラのヘリが何らかの理由で壊れ今は数万人が暮らす盆地になっています)

基盤岩は水を通さず、しかもその上に多量の土砂が溜まっているのでそこに多くの水が存在し、「京都盆地の下は琵琶湖と同じ水量」といわれるのはこのためです。

地球は新生代になって氷河期と間氷期を繰り返して海面が120m上下を繰り返すので京都盆地も確実に6回海の底にもなりました。これも肥沃な土地に役立っています。

京都の基盤岩の丹波帯は特に古生代後半から中世代の地質ですので、この時代海の底であったために、例えば鳴滝砥石には数億年前のコノドントいう、ナメクジウをのような原始的な魚の化石がよく見つかりますし、京見坂や保津峡のチャートのように赤道直下で積もった放散虫が岩となったものがたくさん見られます。

新生代、更新世中期(50万年前)には深草からトウヨウゾウの化石も発見されていますし、同じく更新世(300万年前)大阪層群が形成されていた時代に東山正法寺境内に植物化石が多く見かけられます。大文字山は熱い花崗岩が貫入して、従来あった堆積層が変成した地質で多くの鉱物、ザクロ石、褐簾石、桜石等が多くみられます。

京都盆地の周辺にも戦前マンガン鉱山などで採掘していた場所も多く色んな鉱物サンプルも採集できます。

今回特に京都盆地を取り囲む活断層の関心が多かったようですので、いずれ「京都盆地の活断層」に絞った発表も考えています。

最後に京都大学で地質、地震学の人気教授鎌田教授のコラムを紹介いたします。

「私の住む京都は、東と北と西の三方を囲まれた盆地にあります。この盆地の縁には花折、断層、黄檗断層、北山断層、西山断層などの活断層があり数千年おきに直下型地震を起こしてきた。また琵琶湖の京都よりには琵琶湖西岸断層帯があり、ここで発生する直下型地震のMは7.1と予測されている。実はM7クラスの大地震が起きるたびに山地は隆起する。高くなった山では降雨のたびに表面の土砂が流される。
その結果、長い年月をかけて土砂が盆地に流入し堆積層をつくっていく。京都の縁に聳える東山や西山は、大地震が起きるたびに高くなったのだ。こうして京都を囲む三方の山と中央の盆地が数百万年の時間をかけて出来上がったわけである。逆に言えば活断層がなければ京都盆地はなかったのだ。

こうした盆地の下には大きな水瓶がある。水を通しにくい硬い基盤岩の上に、水を通す堆積層が何百メートルも重なっているからである。
ここに蓄えられた豊富な水が京都盆地の真ん中で湧きだしている。この湧き水から酒を造り、豆腐や湯葉を作り、また京都友禅を洗ってきたのである。近年では最先端エレクトロニクス産業もまたこの潤沢に供給される水から生み出された。すなわち数千年に一回起こる地震の営力が生み出した豊富な地下水を求めて、我々の祖先は京都に都を造営し、産業を生み出し、そこに伝統と文化が生まれたのである。
もし地震もなく断層による地面の隆起がおこならければ、現在の京都は丹波山地のような山々に囲まれた小さな地域となっていただろう。日本が世界に誇る文化と科学技術は活断層の作った盆地と水瓶のおかげ、ともいえるのである」
 

 (会員 高木 哲)

(広報部 岸本 幸子)