第82回研究発表会報告、岡田 英三郎会員・芦田 喜雄理事(16.06.27)
第82回研究発表会報告、岡田 英三郎会員・芦田 喜雄理事(16.06.27)
◆日 時:平成28年06月27日午後1時10分~午後4時00分
◆場 所:ひとまち交流館 京都 3階
◆研究発表:1. 「京都琴平神社参詣について」 岡田 英三郎会員
2.「祇園祭 古例考(上)」芦田 喜雄理事
◆参加人数:40名
第1部は岡田 英三郎会員より京都琴平神社への道
-参詣石灯籠調査から見えてきたこと-
ある日、ご近所にお住いの森下章太郎氏から興味ある資料(以下「森下資料」
という)を頂戴した。
「森下資料」によると、深泥池貴舩神社境内にある「金毘羅大権現」の石灯籠
は左京区静市に所在する琴平神社参詣のための道中安全灯籠の一つであると示唆
されています。
私は、「森下資料」に基づいて、他の石灯籠を散策した。一の灯籠(下鴨神社
境内、元は葵橋東詰め)、二の灯籠(深泥池貴舩神社境内、元は深泥池六差路)、
三の灯籠(二軒茶屋バス停まえ駐車場内)、四の灯籠(静原神社前)、五の灯
籠(江文峠、琴平神社参詣道入り口)です。
さらに、琴平神社の創建目的や時期について知るために、琴平神社(金毘羅山)
に参拝、文献調査や大原の郷土史家を訪問しました。その結果、次のような見
通しを得ました。
① 残された石灯籠から、鞍馬街道を利用した琴平神社への参詣路が確認できた。
② 琴平神社の創建目的は、崇徳天皇への信仰であるが、創建時期や創建時の場
所は特定できなかった
③ 静市地区内にもう一基道中安全石灯籠があった可能性を示唆した。
④ 琴平神社への参詣へのスタート点を、現「崇徳天皇御廟所」あるいは「安井
金毘羅宮」である可能性を推察した。
⑤ 琴平神社参詣道の石灯籠の設置時期は、文化・文政期に集中していた。
琴平神社への参詣が、文政十年ころに盛り上がったのは、庶民の遊興(物見遊山)
と共に、崇徳天皇の六百五十忌であることと大きな関係があるように推察した。
今回報告させて戴いたように、調査を始めたときとは思いもよらぬ展開になった
ことによって、面白味(満悦館)を堪能しました。(岡田 英三郎会員)
第2部は芦田 喜雄理事氏より「古例考(上)」です。
毎年この時期は「祇園祭」のシーズン前という事で、レクチャーをさせて頂く機会
を頂き、光栄に思っています。今年は、以前から山鉾の「古例」についてのお話し
を一度させて頂きたいと思い、再度の資料調べ、また現地にて町家の方などへの聞
込み調査など、色々と資料マトメをしているうちに、当初予定の約倍のPPへの落
し込みとなりました。
やむをえず「古例考(上)」と「古例考(下)の2回に分けざるを得なくなり、今回は時
間の関係から(上)のみの発表となりましたが、また機会があれば(下)の発表もさせ
て頂ければと思っています。
今回発表の「古例考(上)」ですが、豊臣時代から継承されてきたといわれる寄町制
度との係わりが強く、明治4年にそれが廃止されると古例そのものが無くなるケー
スが多々あります。
今も存続しているものは、少しずつ形を変えながら残存し、そこには時代背景も
あり、徐々に華美になっていったものもあります。当初は、ただ単なる質素な行
事の一つであった「注連縄切」や「籤改め」「あばれ観音」も部分的に誇張され
派手になり、本来の古式(行事)としての意味合いが失われていくのは寂しい限り
に思うのは、私だけでしょうか?
今は未だマイナーな?行事である函谷鉾の「提灯落とし」なども数年後かには、
徐々に形を変えながら立派な行事として継承され、認知されていくことでしょう。
最後に今回初めて「祇園祭検定(中級)」なるテストを試み、好評を得ました事(?)
を、報告させて頂きます。有難うございました。(芦田 喜雄理事)
(広報部 岸本 幸子)