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活動内容

第70回研究発表会報告、吉岡 央会員・木戸 公司様(15.03.10)

2015.03.14

70回研究発表会報告、吉岡 央会員・木戸 公司様(15.03.10)

◆日 時:平成27310日午後110分~午後400

場 所:ひとまち交流館 京都 3

研究発表:1. 京都の鉄道史あれこれ 吉岡 央(ひろむ)会員

2.世界に羽ばたけ 日本の酒 木戸 公司(ひろし)

参加人数:45

参加費 :500   一般参加費 :700

 

第1部は 吉岡 央会員より「京都の鉄道史あれこれ」です。ある方から頂いた鉄道の本が面白く、小学生のころより興味を持った鉄道。300枚程ある写真から鉄道の歴史が解る160枚の写真を選び説明していただきました。

 

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明治維新を迎え、殖産興業のもと鉄道建設にも拍車がかかりました。日本の鉄道の開業第1号は明治5年の新橋・横浜間。関西での第1号は明治7年の大阪・神戸間。そして大阪・京都間が開通し、京都初代京都駅は明治10年に完成しました。2代目京都駅は大正天皇の即位に併せ建設されましたが、昭和25年に火災のため焼失しました。3代目京都駅は懐かしく思われる方も多く、駅前には市電が走っておりました。昭和30年の京都駅の写真には1番線がありましたが、現在の4代目京都駅建設の時に京都駅ビルができ1番線は無くなりました。現在は0番から始まり1番を飛ばして2番ホームになっています。
印象に残る電車は特急つばめ。昭和30年代前半は黒い蒸気機関車が主流の時代に、きれいなグリーンが一世風靡しました。

 

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日本初の市街電車は京都電気鉄道が明治28年に七条と伏見下油掛間に開通させました。そして木屋町二条から寺町丸太町まで行き、烏丸丸太町で右に折れ下立売通りを左折し京都府庁の前も走っていました。明治43年には嵐山電車軌道が四条大宮・嵐山間を、そして京阪電鉄が清水五条・天満橋とそれぞれ開通しました。トロリーバスもバスではなく電車です。架線から集電してモーターで走り、正式名称は無軌条電車で鉄道車両になります。昭和7年に四条大宮と西大路市場間に開通しました。

昭和30年代、魚を運んでいた冷蔵貨車をレムと呼んでいました。""は冷凍庫の意味で""10トン~15トン積めるという意味で、この貨車は白でとても目立っていました。

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昭和30年代後半から40年代前半にかけての10年間が、日本の鉄道業界にとって最も光り輝いた時期だと思います。新幹線が登場し、従来線の電車やディーゼルもそれなりに技術を高めました。そして蒸気機関車(SL)も最後の務めとして、全国ですさまじい黒煙を出しながら列車を牽引していました。現在の電車は二酸化炭素の排出量も車に比べ少ないのでエコだと言われています。今はほとんどがトラックにより運搬されていますが貨物列車で運搬すると貨車1台で大型トラック2台分運べます。独自の計算によると260分の1の割合でエコになりました。

初代二条駅、丹波口駅など周辺のようすは畑など自然がいっぱいで、今では考え付かない写真を見せていただきありがとうございました。

 (記事 岸本 幸子)


  第2部は今年で創業378年になる月桂冠(株)から木戸公司氏をお迎えして、日本酒の歴史や酒処伏見の歴史、日本酒の現状から今後の展望まで、日本酒について幅広く語っていただきました。

木戸氏は6年前の京都検定1級合格を機に、京都産業大学日本文化研究所特別客員研究員として伏見と酒について調査を続けられる一方で、その後も京都検定を受け続けられ、過去最低の合格者だった今回の試験にも見事合格されています。

さらに、都草模擬試験や古文書講座にも参加いただき、会員にもお知り合いがたくさんおられ、都草には深く関わって下さっています。

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酒は、古くは『古事記』『日本書紀』だけでなく、中国の『魏志倭人伝』にも記載が見られます。また都には酒造りの役所があったほど、古代から大切にされてきました。

伏見では室町時代中期頃より酒造りがさかんに行なわれるようになり、現在では全国の生産量の2割(第1位の灘は3割)を占めています。

伏見で酒造りがさかんになった理由として、冬の底冷えが酒造りによいことや大消費地京都の近くであったこと、良質な水があったことがあげられますが、特に伏見の水はミネラルの少ない中硬水で、女酒といわれる柔らかな日本酒に仕上がります。


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月桂冠の歴史は特に明治以降、東海道線の開通や、当時食品会社では大変珍しかった研究所を設置することで大きな飛躍を遂げることになります。昭和の初めには業界初の瓶詰め工場が、高度成長期が始まる頃には四季醸造蔵が完成し、現在は業界トップクラスのシェアを誇っています。

 日本酒の国内販売状況はというと、昭和50年をピークに約3分の1まで落ち込んでいますが、最近では需要喚起の様々な取り組みがおこなわれ、明るい兆しも見えてきています。


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平成24年には「輸出促進プロジェクト」が発足し、平成25年には京都市が先駆けとなり「日本酒乾杯条例」が施行され、現在60あまりの市町村で施行されています。

日本酒で乾杯! ホテルでの需要はごくわずかであった日本酒が、100人クラスのパーテイでは一度の乾杯で約2升も開くということですから、ホテルでは日本酒の需要は条例施行前の45倍に増加しています。
また海外では日本食ブームが牽引役となり日本酒の売り上げは大変好調です。

さらに平成25年には日本食文化のユネスコの世界無形登録がおこなわれ、世界が日本食に注目している今、日本酒に大きなチャンスが到来しています。

(記事 松枝 しげ美)