第53回研究発表会(13.9.13)
2013.09.14
第53回研究発表会(13.9.13)
◆日 時:平成25年9月13日午後1時10分~午後4時00分
◆場 所:ひとまち交流館 京都 3階
◆研究発表:1.「 時代祭を観る」 大谷芙美子 会員
2.公家町の神々 弁才天から弁財天 浜田浩太郎 会員
・「弁天様が宮を出た」繁昌祭復興に町衆文化の歩みを想う 西端和美様
◆参加人数:28名
◆参加費 :500円 一般参加費 :700円
第1部は大谷芙美子会員より「時代祭を観る」の発表です。京都三大祭りの中では歴史の浅い時代祭ですが祭が行われるようになった、京都市民の思いを考えると私達、観光文化を語るものとしては時代祭を理解し、後世に大切さを伝えていきたい文化遺産だと思います。
明治10年、京都に行幸された明治天皇が御所とその周辺の荒れた様子に胸を痛められ、以後12年間天皇のお手元金下賜することと共に、大内事業の推進が始まりました。その後、岩倉具視の提言や京都の近代化が加速し「第4回内国勧業博覧会」と「平安遷都千百年記念祭」の開催が決定しました。当初は博覧会期間中のパビリオンという考えでしたが桓武天皇の御霊をお祀りする「平安神宮本殿」など社殿が明治28年3月に竣工しました。
第1回の時代祭は「平安遷都記念大祭」の最終日の10月25日に京都市役所出発から平安神宮へのコースで行われました。行列の順序も延暦文官参朝列から始まり徳川城使上洛列までの6列です。2回目以降に毎年10月22日行う事と御祭神の桓武天皇が民の繁栄をご覧になる神幸列が加わり、行列の順序が江戸時代から延暦時代へとなりました。
時代祭の特徴は全部で12000点に及ぶといわれる衣装・持ち物・履物に至るまで有職故実の専門家の時代考証に基づき、全て本物に近づけていることです。現在の価値にすると50億とも60億円とも言われる本物の1100年の風俗史を目の当たりに見られるものです。
維新勤王隊列で担がれている鉄砲は、銃身は使えなくしてありますがも本物で重たいものです。隊長が被っている赤熊もヤクという動物の尻尾の毛です。維新志士列の七卿落ちの蓑笠の衣装は8月18日妙法院から長州に向かう雨の中を歩く姿をあらわしたものです。家柄や位で歩く順番も決まります。位によって袴も織物と平絹の違いがあります。束帯の黒は四位から上で五位は赤、六位以下は縹色になります。徳川城使上洛列は200人程の一番長い行列ですが実際には1700人の大行列だったようです。城使の陣笠には金が貼ってあり、羽織は五つ紋、袴は緞子とベッチンの豪華なもの。
江戸時代婦人列の和宮の十二単は正式には女房装束と呼ばれます。太田垣蓮月が頭に付けているのは輪帽子でちり除けとしての効果もあります。
豊公参朝列の牛車は最高級のもので御所に参内するための衣冠姿の一日晴れと称される豪華な五奉行の衣装が見ものです。織田公上洛列の信長の衣装も正親町天皇から頂いた襟が立った胴服を着ています。靴は熊の毛で作られた熊毛貫というもので昨年新調され27万円だったようです。楠公上洛列では騎馬戦だったため楠木正成は20㎏の大鎧と3㎏の兜を付けています。これは立派な美術品で10年程前に3500万円程で人間国宝の方により数年かけ新調されたようです。
昨年は和気広虫の衣装を新調されています。今年の様子を平安講社に尋ねましたが10月10日に発表されるようで、それまでは秘密のようです。
時代や位や状況により細かく衣装の色・素材・飾り・形が変化していく様子が画像と共に詳細な説明で日本の伝統技術が一堂に詰まった行列だということがよくわかりました。
(記事 岸本幸子)
第2部は西端和美様と浜田浩太郎会員より「弁天様が宮を出た」~繁昌祭復興に町衆文化の歩みを思う~の発表です。今年5月、72年ぶりに、繁昌神社のご祭神をお神輿に乗せて、かつての氏子町を巡る繁昌祭復興の「企て」を西端和美総代がお話下さいました。
繁昌神社のご祭神は弁財天様。
西端さんのご友人でもある浜田会員が、京都御苑にお祭りされている3つの弁才天様について、はじめに10分ほどお話をして下さいました。なかでも、白雲神社、宗像神社、厳島神社にお祭りされている弁才天様はそれぞれ種類が違う・・・というお話は、まさに浜田会員ワールド。
繁昌神社の奥の宮ではないかといわれる「はんにょ塚」は、『宇治拾遺物語』にも登場する古いもの。
さらに江戸時代初期の地図でもかなりの敷地であることが確認出来ます。
またそれを裏付けるように、繁昌神社には非常に立派なお神輿が伝えられています。
今回復興した繁昌神社の巡行コースはまだまだ神社周辺の狭い範囲ですが、古い資料により、以前行なわれていた巡行コースがかなり広範囲であることが分っています。
そのほかに、昭和16年が最後の巡行で会ったこと、巡行時には様々な作り物をして、店頭に飾り、技の巧妙を争っていたことも分かってきました。
もともとは真夜中に、裸の男性が担いで練り歩いたといわれる繁昌神社のお神輿巡行。
女性総代として色々なご苦労もあったことでしょうが、デザイナーという職業を生かして、繁昌神社をデザインすることで、復興を支援されてこられました。
来年5月17日(土)予定の繁昌祭にむけて、現在着々と復興を進められています。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
(記事 松枝しげ美)