第30回研究発表会(11.7.5)
第30回研究発表会(11.7.5)
◆日 時:平成23年7月5日(火) 午後1時10分~午後4時
◆場 所:ひとまち交流館 京都 3階
◆研究発表:1.『佐久間象山』 都草会員 高木 清
2.『思い出の中の歴史~天神さんは副都心だった~』 都草会員 菊井 俊彦
◆参加人数:34名
◆参加費 :300円
とても暑い中、34名の会員が研究発表会を楽しみに集まりました。
1時10分より発表は高木 清会員です。
今年は、佐久間象山生誕200年です。
エピソードの多い象山についてのお話でした。象山は長野県出身です。
同じ長野県出身の高木会員は象山がどうしても気になりほっておけないようです。
本当にその人を知るためには多くのエピソードを知ることが一番と熱く語っていただきました。
『象山』はゾウザン 又はショウザン とも呼ばれています。地元ではゾウザンと呼ばれていたとのことでゾウザンに統一されました。
『佐久間象山』は江戸で砲術の塾を開いたり、朱子学や開国を主張し、後に幕末明治初期の名のある思想家に影響を与えた人です。
『佐久間象山』の肖像画も持ってきていただきました。
ペリーが象山に向かって丁寧に一礼された。それ程、風貌が堂々と立派でした。
23歳のころの象山は江戸遊学の為の費用を家老の矢沢家から借用しています。
その時に象山は「自分は勉強をして偉くなるなるのでお金を貸して欲しい」と言ったそうです。
学問を抵当にお金を借りる人は居ないのではないでしょうか?
象山は42歳の時に勝海舟の妹順17歳と結婚しています。
25歳も離れていますがしっかりした奥様でいらしたようです。自信家の象山は「わしは優秀な人間。その胤を多く残したいので、多くの女性を紹介してもらいたい・・・」の言があったそうです。
京都に来てわずか3か月余りであるのに京都になぜ象山にちなむ碑が多いのか?
普通ではかんがえられません!
象山の性格は狷介(頑固)、不羈(人に束縛されない)、豪放磊樂などといわれたり「楼賦」などがあったりしますが、他面詩情豊かな面が確かにあります。
多くの参考文献も持ってこられお奨め本の紹介もありました。
第2部は2時40分より『北野天満宮は副都心?』菊井 俊彦会員です。
平安時代の北野の概況から、一条通、中立売通、今出川通、西大路通と京電、嵐電、市電の交錯する近現況について語っていただきました。
菊井会員は枚方の樟葉にお住まいです。
毎日、京都に通い自転車に乗り京都中を巡っておられるので京都の道についてはとても詳しいかたです。
京都の道を歩き出会った皆様の思い出話を切り口とし、そこから昔の様子を調べ勉強されています。時代の移り変わりが受け継がれていく様子が感じられるお話でした。
今は無くなってしまった下の森通りに入っていた京電に疑問を持ち調べたのがスタートです。
本日の研究発表はパワーポイントのデータで説明される予定でしたがパソコンのアクシデントがあり21枚の説明データをお見せすることができませんでした。
★説明に使われる予定だったパワーポイントの資料の一部です
ところが資料がなくても問題なく流暢にお話下さいました。
その中の1つに京都市は北野天満宮あたりを円山公園に匹敵する一大公園を造る計画をしていたようです。設計費まで計上されていたようです。
40年前に90歳のおじいさんから聞いた方の話によると七本松から西は野原だったようです。
一条通に向かって京電、今出川通が入り交通の集結点にもなっています。
楽しいお話ありがとうございました。
(事務局 岸本幸子)