第22回都草研究発表会(10.9.12)開催結果
第22回都草研究発表会(10.9.12)開催結果
◆日時:9月12日(日) 午後1時15分~
◆場所:ひとまち交流館京都
◆参加者数:36人
◆講演『京都発掘あれこれ』
講師 京都市生涯学習振興財団専門主事 長宗繁一先生(前京都市考古資料館長)
主に、秀吉の作った「方広寺」の発掘調査から、写真などを交え掘り出された遺跡の見方などを説明され、台座が八角形と推定されたものが、発掘調査が進むと限りなく円に近い多角形であることが分かり、訂正をするという事例まで紹介いただきました。
スコップやシャベルで掘るわけですが、会員から、地表から順次手で掘るのかとの質問に対し、試掘をし、近くまでパワーシャベルで機械堀をするとのことでした。(発掘に要する時間をできるだけ短くするためです。.. )
京都の場合、場所により地表のすぐ下に遺跡があるところと同じ年代の遺跡が数メートル下にある場合があるのです。遺跡の上に作られた京都の都市であり、遺跡調査を済ませてから建物が建てられるのが原則ですが、このルールができたのが昭和三十年代のことで、それまでは野放しの状況であり、遺跡のあるのが分かっていても調査をせずに建物が建てられたようです。
◆研究発表:『天皇と日本の歴史・天皇陵』 都草会員 今井 敏昭氏
数日前(9月10日)京都新聞のトップニュースとして「斉明天皇陵と特定」「明日香・牽牛子塚古墳」が発表されました。あまりのタイミングのよさに熱心に読みふけりましたが、研究発表でも触れられました。権力の象徴として広大な陵墓を作られるも、平安時代になると嵯峨天皇のように薄葬を遺令されるなど盛土墳墓は衰退する。天皇の力が衰退すると墳墓も合葬されることもあり、(深草北陵12帝陵)四条天皇のころから、泉涌寺のように寺陵とされるケースも現れる。徳川実記のように天皇の陵墓を再調査するような動きもあり、幕末の尊王思想のバックボーンになった。
天皇の話は何度聞いても奥が深く、なかなか理解しづらいころもありますが、何度聞いても面白いものだと思いました。
(寄稿:専務理事田村光弘)
(HP運営委員会 吉見)