第19回都草研究発表会(10.6.9)
2010.06.09
★着物姿で講演下さった中野 敬氏
第19回都草研究発表会(10.6.9)
◆日 時:6月9日(水) 午後1時15分~
◆場 所:ひとまち交流館京都 3階第5会議室(下京区河原町通五条下ル東側)
◆講 演:『祇園祭り~大舩鉾を中心に』 講師 財団法人大舩鉾保存会理事 中野 敬氏
◆発 表:『四座雑色と京都町組』 発表者 都草会員 橋本義郎
◆参加人数:39名
◆参加費 :500円
1864年(元治元年)、禁門の変で焼失し、現在まで復興していない休み山鉾であります大舩鉾について、貴重なお話を伺うことが出来ました。大舩鉾は応仁の乱以前からあり、応仁の乱、天明の大火、禁門の変で焼失。1870年(明治3年)には唐櫃巡行を実施し、その後居祭りを継承してきている。1984年(昭和59年)国際伝統工芸博で復元展示、約10年後神事のみのお飾りとなるもお囃子が復活。数年後懸装品のみの宵山飾り席の復活、それが京都市文化財に指定され、京都文化博物館に懸装品展示、今年は宵山飾りで御神体を出すことを決定されました。
現存する文書から興味深いものとして、1851年(嘉永四亥年)の覚(領収書)に十四日舩鉾と書かれてあり、かつて大舩鉾は十四日舩鉾と呼ばれていたことが分かったとのことです。そして大舩鉾がどのような全容であったのか、屏風や幸野楳嶺、岸連山の掛け軸を参考にお考えを述べられました。平成21年にメトロポリタン美術館名誉館員の梶谷宣子氏が鑑定された、残された懸装品の品々の説明の中で、今年御神体のお顔につけられます御神面は、まじまじと見ると目が潰れると言われているというお話は少々ぞっとしました。
お囃子については、大変なご苦労がお有りだったということで、復興初年は殆どの方がお囃子の経験がなかったそうです。公募で1期生3名が入りましたが、中野氏もその中のお一人だそうです。指導は岩戸山囃子方からお受けになり、曲を戴いたり、作曲して戴いたり、新たに大舩鉾囃子方により作曲したものもあるそうです。現在38名の方がおられますが、課題も少なくないそうです。
頂きましたレジュメの中に、南條一雄氏の建水のような形をした口径七寸ほどの鏧(きん)の音が、この世のものとは思われない音であったとあり、思わずどのような美音なのか一度聴いてみたいものだと思いました。南條氏は、25年前に大舩鉾の囃鉦12個を製作されたそうです。
興味が尽きないお話ばかりで、大舩鉾の今後が非常に楽しみになりました。
★会員からの質問に丁寧に答えて下さる中野氏
★大舩鉾飾り席(平成21年) ★中野 敬氏デザインの大舩鉾ご朱印
…………………………………………………………………………………………………
★熱弁を振るわれる橋本会員
次に、橋本会員から発表がありました。澤田ふじ子氏の小説『梟の夜』に、四座雑色が
祇園会くじ取り式に立ち会い、鉾町内を警備の為巡回し、巡行時の警固を行った事が書
かれてあった。その内容に深く興味を持ち、四座雑色が何故江戸時代の京都に存在し、
組織はどのようなものだったのかや、町組との関係、京都の町に於いてどのような役割
を果たしたのかを調べたとのことでした。
まず四座雑色と町組の歴史から話されました。応仁の乱の後焼け野原から立ち上った町
衆、そのような時に町々が自治の為団結組織化したのが町組。四座雑色については、江
戸時代に京都所司代板倉勝重が室町時代から続く小舎人(下級役人)の雑色を用いたの
が初めで、四条室町通りの辻を四方角に区分けをし、雑色四家(萩野氏、五十嵐氏、松
村氏、松尾氏)を触頭に任じ、持ち場の方内を支配させた。その後四座雑色は所司代か
ら町奉行所に配属された。身分階級は与力・同心の下(知行が与えられる)で、幕府に忠
誠を誓い、行政、警察、司法と多様な職務を与えられた等の話や、町代との比較、関係
性についても言及されました。
さらに雑色は祇園会・葵祭等の神事に従事し、社寺祭日の警固や芝居興行場の取り締ま
り等をし、京都の町全体を掌握する程の力があったとのことでした。
そして幕末から新政府になり雑色が消滅し、町組は現在各学区自治連合体に至っている
とのお話でした。
最後に、時代小説には非常に面白い事が出て来る、と話された時、橋本会員の強い眼
差しがほんの瞬間優しくなりましたのをふっと感じました。
(事務局 小松)