第17回都草研究発表会(10.3.11)
第17回都草研究発表会(10.3.11)
◆日 時:3月11日(木)午後1時10分~4時
◆場 所:ひとまち交流館3階第4会議室
◆発表内容:
1.『和菓子としての饅頭の起源』 講師 都草会員 佐藤佳代子
2.『天皇と日本の歴史(権力の推移)』 講師 都草監事 今井敏昭
◆参加人数:29名
◆参加費 :500円
★和菓子のルーツについて語る佐藤会員
佐藤さんは、梅原猛氏の「京都発見」を読んで、日本における饅頭の起源には二つの説が
あると知り、不思議に思いその研究をすることになったそうです。以下に要約します。
和菓子としての饅頭伝来には、博多ルートと奈良ルートがある。
博多ルートは鎌倉時代、中国留学僧聖一国師(円爾弁円)が博多の茶店の主、栗波吉
右衛門(後に虎屋と名乗る)に饅頭の作り方を伝えた。店は早くに止めたが、子孫は昭和時代
博多に在住の記録がある。博多の栗波家との関係は不明だが、京都に虎屋黒川が創業し、
500年続いている。
奈良ルートは室町時代、中国留学僧龍山徳見が俗弟子林浄因を連れて帰国。林浄因
は座が発達した奈良でお菓子屋を始め、後に塩瀬姓を名乗った。塩瀬家の子弟が住
んだ烏丸三条下ルには、饅頭屋町という町名が今も残る。その後塩瀬家は江戸
時代初期に江戸に出て、650年になる。
両ルートの共通点は、どちらも留学僧が関わっていること、聖一国師筆・足利義政筆の看
板を所有していること、現在宮内庁御用達であることである。
京都の饅頭のゆかりの地としては、吉田神社内の菓祖神社、聖一国師開山の東福寺が
あり、龍山徳見ゆかりの建仁寺塔頭の両足院は塩瀬家の菩提寺となっている。
佐藤さんは、実際に博多まで行かれ、博多ルートのゆかりの地を歩かれたそうです。そし
て研究にあたっては相当和菓子をいただいたとか!?佐藤さんの終始落ち着いた、丁寧な
お話し振りが心に残りました。
★最大の権力も持っていた天皇は?に答える今井監事
今井監事は「天皇と日本の歴史(権力の推移)」と題して、歴代天皇の権力の推移を、
その財務基盤となる農地所有制度の変遷と時代の節目という観点で論じました。
神武天皇から明治天皇まで122代の天皇の即位年齢をふまえつつ、専制君主的に
強い天皇、一応親政をした天皇、地位についての権力行使がなかった天皇に分類。
これとは別に、主だった天皇の権力の大小にも触れつつ、政治項目などを記載。
時代の転換点の権力の推移を資料で解説しました。
権力の発生はそもそも米と鉄が要因で、瑞穂の国とは豊な米作りの国、豊葦原は
「鉄」のことを言っているのでは?鉄の歴史にもっと注目してもよいのでは、と今井監事。
古代では、重要な物資であった鉄を掌握したものが権力を保持、飛鳥時代以降は権力
の基盤となるのは米で、農地が誰に帰属していたのかが重要であった。
大化の改新を行った天智天皇以降、農地は国有(天皇に帰属)であることを定めた律令制が
定められた聖武天皇までは天皇の権力が強かった時代といえ、とりわけ天武、持統天皇の
代は、個人的能力と朝廷の勢力が大きかったこともあり、天皇権力の絶頂期といえる。
桓武天皇が平安遷都し、財政が逼迫した以降は荘園という形で農地の私有化が進み、相対
的に天皇権力は弱くなっていった。 平安初期~中期に親政を敷いた歴代天皇は荘園規制を
試みるが、私有化の流れは止められず、荘園所有の拡大をしていった摂関家に権力は移って
いく。摂関家が天皇の外戚になれなかった隙をついて、荘園を天皇(上皇)領とすることが
できた白河天皇(法皇)が、強い権力を持った最後の天皇となった。
農地が事実上武士の所領となる鎌倉時代以降は、天皇の荘園所領は限られたものとなった
結果、天皇権力も弱くなり、信長、秀吉の時には天皇の力は権威のみとなる。
特に江戸時代には、徳川幕府による禁中並公家諸法度により、権威すらも脅かされるように
なり、幕末期の天皇の所領は3万石程度と小大名とあまりかわらないものとなってしまう。
こうした事情は、天皇の即位年齢にもよく顕れていて、奈良時代までは1人しかいなかった
19歳以下で即位した天皇が、平安時代以降急激に増え、特に10歳未満で即位した、所謂
幼帝比率が3~4割にも達している。即位年齢に着目しての分析は大変面白いものでした。
以上、最後に質疑応答の時間もあり、1時間半に渡る充実した講話でした。天皇制復活の
イメージを掲げた明治時代は、未だに日本人に大きな影響を与えているという今井監事の
言葉が興味深く、耳に響き残花のように脳裏に焼きつきました。
(事務局 小松)