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活動内容

第152回研究発表会報告、岡田 英三郎 会員、福井 大作 会員(26.9.4)

2026.09.06

第152回研究発表会報告、岡田 英三郎 会員、福井 大作 会員(26.9.4)
 YouTube 期間限定 9月8日(火)から9月14日(月)午後5時まで
    会員のみ限定公開

◆日 時:令和8年9月4日 午後1時10分~午後4時00分

◆場 所:ひとまち交流館 京都 3階

◆研究発表:1.「宝幢(ほうどう)」 岡田 英三郎 会員 

      2.「懸魚(げぎょ)」 福井 大作 会員

◆参加人数:ひとまち 14名

第1部は、「宝幢(ほうどう)」岡田 英三郎 会員です。
朝廷の即位式と朝賀(新年に天皇が臣下から祝賀を受ける式)の用いられていた「宝幢(ほうどう)」という祭具の歴史的な変遷をたどるという極めてマニアックス話をさせていただいた。

 

この研究のきっかけは、文武天皇が大宝元年(702)に、誇らかに宣べ、1200年間余り続いていた宝幢を立てるという儀式が、令和の即位式で見当たらなかったからです。

 

今回の発表は、単に宝幢の変遷をお話ししただけですが、日本の政治体制の変貌と大きな関りがあるということが見えてきました。

 

宝幢についての研究はなく、多くの研究課題(テーマ)が残しました。論稿化したいのですが、かなり時間がかかりそうです。

                                             (会員 岡田 英三郎)

 



第2部は「懸魚(げぎょ)」福井 大作会員です。
皆さんが神社仏閣で無意識に目にされているものです。私には以前から気になる存在で過去に調べていたことを話しました。
〇懸魚とは神社仏閣などの破風板に吊り下げる妻飾りの板。
 建物の外観を美しくする、屋根の構造を補強し風雨から護る、日本の伝統文化や宗教的意味合いを持つ、などの役割を担う。
〇語源は水と縁の深い魚の形の飾りを火除けのまじないにしたのが始まり。
 懸魚を音読みすると「けぎょ・けんぎょ」となるが「げぎょ」と濁音で読まれるようになった。
〇懸魚の源流は紀元前5世紀頃の中国にあり、6世紀に朝鮮半島を経由して日本に伝来し、独自の発展を遂げて来た。

 

〇日本における懸魚の歴史
・飛鳥時代(6世紀中頃)仏教とともに伝来し6世紀終わり頃には寺院が建てられ懸魚も付けられた。一方、神社も仏教寺院に影響され、7世紀初めには常設の社殿が建立され懸魚も付いたと思われる。
・平安時代:絵巻物に懸魚が描かれ、懸魚は官衙建築や寺社建築、貴族や豪族の邸宅のみで庶民の建物には皆無である。
・鎌倉時代:現存最古の懸魚が確認された。
・江戸時代:時代とともに装飾性が増し単なる装飾品にとどまらず、日本の美意識を象徴する存在として様々な種類の懸魚が登場する。
・明治時代以降:民家、学校、銭湯、老舗旅館などに見られるようになった。

 

〇懸魚の種類の説明
・蕪、猪目、三花、梅鉢、唐破風が主要5種で全部で10種ほどある。
・この中の唐破風懸魚(兎の毛通)は立体的で柔らかな曲線を描き高度な技術を要する日本が世界に誇るものである。
 寺社や城郭などで多く見られ装飾性があり、江戸時代以降、町人文化の成熟につれ遊郭などの歓楽施設、祭礼の山車・神輿、仏壇、墓などにも広がった。特に日本の城郭の色々な破風は豪華絢爛で美しい。
〇京都の懸魚の実例
 種類別に有力寺院を写真説明。特に懸魚の宝庫で珍しい懸魚も見られる京都御所と東寺を詳しく探訪した。
〇京都市内における一部寺社の懸魚の統計の説明
 仏教系201寺、神道系84社、合計285ケ所を調査した結果 猪目103(36%)蕪67(24%) 三花52(18%)が上位3種であった。更に詳しい内容も説明した。

 

〇最後に私の感想
・中国にその源流はあるが、日本人の特性や感性から日本独自の発展や創造が行われて新しい懸魚文化が栄えて今日に至っている。
・寺社には本殿や本堂以外の門、鐘楼、拝殿、その他の建物にも多く見られる。
 各寺社で懸魚が統一されている訳では無く種々の懸魚が取り付けられている。
・寺社を訪れられた時には懸魚も気にかけて観察してみてください。
                                          (会員 福井 大作)

 

                                          (広報部 岸本 幸子)