第149回研究発表会報告、豊田 博一 理事、西野 嘉一 会員(26.3.12)
第149回研究発表会報告、豊田 博一 理事、西野 嘉一 会員(26.3.12)
YouTube 期間限定 3月17日(火)から3月23日(月)午後5時まで
会員のみ限定公開
◆日 時:令和8年3月12日 午後1時10分~午後4時00分
◆場 所:ひとまち交流館 京都 3階
◆研究発表:1.「AIと、学ぶ・遊ぶ・おちょくる、歴史散策」豊田 博一 理事
2.「国宝から見る茶碗の基礎知識」西野 嘉一 会員
◆参加人数:ひとまち 22名
第1部は、「AIと、学ぶ・遊ぶ・おちょくる、歴史散策」豊田博一理事です。
現時点での対話型AIの課題
〇まちがった記述が頻繁に出現。時には捏造した情報を提示、特に困るのは架空の著作物。
〇間違いを指摘し会話を重ねると、すぐに訂正。こちらに迎合する傾向が強い。訂正も不完全な場合が多い。
〇従ってAIの回答は信頼できずすぐには使えない。まずはウィキペディアと書物。

現時点でのAIの使い方、楽しみ方
〇あまり知らない事項をAIから入門してはだめ!
〇それなりの知識を前提に会話すると
・点検作業で自分の知識の確認ができる。(間違い探しで学ぶ、遊ぶ)
・様々な情報を提示するので知らないことを見つけることも多々あり
・仮説を提示すると迎合して、それらしい文章を提示してくれる
・その分野の研究者や著作物を探すのには便利。
・検索では見つけにくい事項・内容➡見つけるきっかけには有効

結びに
現時点の対話型AIで歴史上の事柄を調べると、まずなにがしらの間違いが含まれている。特に物語のストーリーを無理やり捏造(場合によっては架空の事件を作り上げる)。したがって常に点検・確認・裏打ち調査が必要となる。
ただ瞬時に膨大な情報や一見論理的な文章を提供してくれるので、なかには使える情報や文章があり、その意味では参考になる。
なるべく長文の具体的な問いかけと、常に出典の提示を求めると、比較的検証する気になれる情報が提供される。

AIを信じるのではなく、遊びながらおちょくるぐらいのスタンスで楽しんでください。
なお、添付の資料は実際に私がAIとの対話そのままのデータです。体感してください。
(理事 豊田 博一)
第2部は「国宝から見る茶碗の基礎知識」西野嘉一会員です。
これから8点の国宝の茶碗を通して、茶碗の基礎知識と共に、「喫茶」という文化に興ずる日本人支配階級の移り変わりを見てゆきたいと思います。
「天目茶碗」とは鎌倉時代、浙江省の天目山にある禅刹へ日本から多くの僧が留学し、帰国に際し寺で使われていた建盞(茶碗)を持ち帰り、天目山の茶碗ということで天目茶碗と呼びならわした。

「窯変(曜変・耀変)天目茶碗」とは碗の内側の黒い釉薬の上に大小の星のような斑点が群れを成して浮かび、その周囲に瑠璃色の光彩が取り巻いているもの。
これらの文様が意図的に作り出されたものか、偶然によるものかはまだ解明されていない。
「油滴天目茶碗」の伝世品は日本を中心に十数碗あるが、日本には九つある。
小堀遠州などは油滴も窯変と書いて、同じ種類として見ている。
「玳皮天目茶碗」とは吉州窯で焼かれた天目で釉薬の景色が鼈甲調であるところから「玳皮」と呼ばれている。「玳皮」とは亀の甲羅のこと。
「高麗茶碗」とは一般的には李朝期における作品の呼び名である。
朝鮮には中国や日本と違って茶を喫するという習慣が無かった。そのためこれらの器は茶碗としてではなく、日用雑器としての器である。それを日本では茶碗と見立てて用いたのである。中国や日本では産地が重要であるが、朝鮮では土もいろいろな産地の土を混ぜて使い、職人も全国から集める。したがって高麗茶碗の名前も品質・形状・色調・触感・画紋などによって日本でつけられたものである。

「井戸茶碗」の井戸の名称は、見込みの部分が井戸のように深く広いからとか、奈良興福寺の寺臣、井戸氏が所持していた茶碗だからとか諸説あるが、定かでない。井戸の魅力は形容からくる迫力と土味と釉色に尽きるといわれている。
「志野茶碗」とは桃山時代を代表する美濃焼の一つ。特徴は極限にまで暴れた造形、荒々しい釉膚の豪快な作振り。美濃焼とは古くは瀬戸焼に包括されていたが、桃山時代から江戸初期にかけて瀬戸黒・黄瀬戸・志野・織部などを生み出した。志野茶碗は桃山時代のたった20年間に焼かれた茶碗。昭和に入って北大路魯山人に触発されて、人間国宝の陶芸家荒川豊三が復活させた。
「楽茶碗」とは、今日の楽焼という言葉はかなり広い範囲で使われているが、江戸時代には楽焼とは楽家歴代の作品に限られていた。楽家の技法は日本の陶磁器の世界ではきわめて特殊なもので、伝統的な日本陶磁はほとんど轆轤によって成形され、大きな登り窯によって量産されるなか、楽家の技法は轆轤を用いず、手捏ねで成形し、内窯と呼ばれる小規模な窯での一品制作を徹底している。

光悦茶碗の魅力
光悦の茶碗は鷹ヶ峯で制作されたと考えられている。光悦は作陶を始めるにあたり二代常慶、三代道入の手ほどきを受け、楽家の土を用いて制作し、楽家の窯で焼いてもらっていたようである。光悦の魅力は何といってもその自由な発想と造形にある。
まとめ
貴族・僧侶による「御殿の茶」、足利将軍家を中心とした「書院の茶」、村田珠光、武野紹鴎、千利休と続く「草庵の茶」、さらに古田織部、小堀遠州、後水尾天皇等による「綺麗さびの茶」。そこには茶碗を通して「喫茶」という文化に興ずる日本人支配階級の移り変わりを目の当たりにすることができる。(会員 西野 嘉一)
(広報部 岸本 幸子)