第138回研究発表会報告、羽田 徹夫会員、福井 大作会員(24.10.18)
2024.10.24
第138回研究発表会報告、羽田 徹夫会員、福井 大作会員(24.10.18)
YouTube 期間限定 10月25日(金)から10月31日(木)午後5時まで
会員のみ限定公開
◆日 時:令和6年10月18日 午後1時10分~午後4時00分
◆場 所:ひとまち交流館 京都 3階
◆研究発表:1.「大江磐代君」 羽田 徹夫 会員
2.人間だけの文化「葬送儀礼と墓制」その2 福井 大作 会員
◆参加人数:ひとまち 19名
第1部は、「大江磐代君」 羽田 徹夫 会員 です。
大江磐代君という方は、光格天皇の御生母ですが、広く世に知られたのは明治に入ってからです。私も御苑ガイドで知った。発表の中から、主なところを概説する。

磐代は倉吉で誕生し、9歳で上京、即心院に奉公後、閑院宮家の女中となり、典仁親王に召され28歳の時、祐宮(光格天皇)の生母となった。磐代36歳、祐宮が践祚した時、由緒書が母は故成子内親王に、祐宮の誕生は妥当な日に改ざんされ、生母「家女房」が消された。公には祐宮と磐代の縁は切れたのである。磐代は聖護院門前の蓮上院屋敷で亡くなり、廬山寺で葬送された。69歳。
磐代が光格天皇の生母と広く知られるようになったのは明治10年以降である。磐代君は閑院宮家の家女房であった。当時の宮家の家女房は公家出は少なく、様様な出自で磐代君もその一人である。親王家王子が践祚すれば、生母の身分は低くなる可能性が高い。

大江神社拝殿
閑院宮家の家女房墓は、閑院宮実録では8基あり、6基が現地で特定でき、6基すべて同型、同規模であった。磐代君の墓はその中にあった。生母ゆえの別格扱いは見られなかった。
磐代の手紙が17通現存している。手紙は書く人の心の鏡であるから、磐代の人となりを知りたく、その中から4通を選び出した。
1通目は、母りん宛て。今の生活が苦しいのは因縁だ。あなたは字が書けないので、困ってる。汚い字でもいいから直筆の手紙が欲しい。まつむらおば様があなたに会いたいと言っている。
2通目は、従妹のふさ宛て。祐宮、若宮、誕生、生母を用いず、祐宮の生母に成ったことは「誰にも言わない」と書く。
3通目は、りん宛て。11月祐宮践祚した後の12月。母の手紙を受け取ったその日に書いた返書である。「お上のことには考えが及ばない。かようなことになったのが不思議で、心が痛い。いろいろ伝えたいことはあるが、心に任せて申さず」と書く。1か月前の聖護院宮付弟であった祐宮が、今は天皇である。落ち着くことができない磐代が心に任せて申せば、なんと申したであろうか。
4通目は、妙盛宛て。最晩年の手紙。ふるさとが懐かしいと書く。

光格天皇は、14歳の時、磐代に扶助金を内密に下賜した。前年、養母後桃園天皇女御維子は崩御している。母は縁を切った磐代だけになった。宮家の家女房で、位階もない磐代への非公式の追慕、復縁行為だったのか。
りんは、字が書けなかった。りんの手紙は代筆である。それ故か、りんの生年月日は不明である。年齢がわからない。磐代も生月日が不明である。大岳院過去帳の続柄欄には何も書かれていない。宗賢、磐代、又地元に知人もいるのに不思議である。
(会員 羽田 徹夫)
第2部は人間だけの文化「葬送儀礼と墓制」その2 福井 大作 会員です。
前回は古代~古墳時代について見て来ましたが、今回は奈良時代~現代を辿りました。

〇平安時代:平安京の人口12万~13万人から出る遺体の処理は大問題であった。
京内には多数の葬送地があり、有名なのは鳥辺野・化野・蓮台野の三大葬送地である。
・藤原北家の墓・宇治陵:宇治の木幡に摂政関白経験者や天皇の后妃や生母になった女性性たちも鳥辺野で火葬された後、ここに埋葬された。
・往生要集:日本浄土教の祖・源信が著した仏教書で死後どうしたら西方浄土に行けるかの手引書で、法然・親鸞などに大きな影響を与えた。
〇「紫式部と小野篁の墓は何故隣り合わせにあるのか?」の謎

蓮台野は蓮の台の蓮台から
〇鎌倉~室町時代:末法思想を背景に浄土宗・浄土真宗・日蓮宗・時宗の鎌倉新仏教が、さらに禅宗が登場し仏教が庶民に普及し、火葬など葬送儀礼が発展していく。
・葬送時刻の変化:古来、夜は他界に通じるとして葬送は夜に行われていたが、仏教の影響から見せる葬送として日中型になっていく。
〇江戸時代:家名と財産を相続する「家」の成立で葬儀が華美化。
・寺請制度(檀家制度):葬式仏教へと向かう江戸幕府の宗教統制の一環
「寺請証文」と「宗門人別帳」によりキリシタンを排除、全員仏教徒化とし、民衆管理が法制化され、明治維新後の戸籍法の施行まで続いた。
・先祖供養や葬儀などの仏事が生活の中に定着し、墓の建立が全国的に普及し始めた。

〇明治~大正時代:明治維新後、埋葬許可証、墓地以外の埋葬禁止、火葬の義務化が規定。
大正時代にアメリカから霊柩車が導入され、従来の大掛かりな葬列は不要になった。
〇昭和~平成~令和時代:多世代同居型→核家族型→弧族型(単身所帯)への変化が進み、葬儀スタイルや埋葬方法も多様化の時代を迎えている。(会員 福井 大作)
(広報部 岸本 幸子)