活動内容

フィールドワーク 一条通りを歩く(23.4.6)

フィールドワーク 一条通りを歩く

日 時  令和5(2023)年4月6日(木) 10:00~11:00
コース  一条通り(一条堀川(戻橋)~一条烏丸)
参加者  9名

催行か不催行か微妙な空模様の中、わくわく倶楽部のフィールドワーク「一条通りを歩く」が催されました。堀川通り安倍晴明ゆかりの一条戻り橋に集合。9名が参加しました。

一条戻橋

戻り橋より東へ歩き出すと、一筋目の南北の通りが「小町通」。通りには「小野小町双紙洗水遺跡」の石碑が立つ。あの小野小町と大友黒主の伝説にある、小町が双紙を洗ったと伝える跡がここだと言われている。

「小野小町双紙洗水遺跡」の石碑

しばらく道を進むと、平安時代に藤原道綱の母が住んでいたという場所があり、のちに源頼光の屋敷もあったと言われている。さらに室町中期には応仁の乱洛中合戦勃発地でもあったようであり、安土桃山期には加藤清正邸の跡でもあったらしい。さらに江戸期になると筑前福岡藩の屋敷となっていたようである。
まるでミルフィーユのように歴史が積み重なり、これぞ京都と言えるような場所であった。こんな多彩な石碑は見たことないものでした。

石碑

続いて南北に走る小川通りを渡ると「大峰図子」。名前の由来である大峰寺の跡があり、藤原道長の二女であり、三條天皇の中宮であった妍子はここで火葬されたと言われている。

大峰図子町
大峰寺跡

この後、本田味噌、とらやを過ぎ、烏丸通りに出て、11時過ぎに解散となりました。

一条殿跡
とらや

平安の昔、平安京の北の端であった一条大路は道路幅36メートルとも言われている大路でした。しかし今は見る影もない細い道となっています。しかし細かく見てゆくと、かってはメインストリートであったであろう面影がどこかにかすかに残っているものです。
それを探しながら、当時を思い描きながら、次も歩いていきましょう。
次はどこかな?楽しみです。
取り敢えず、雨に降りこめられず良いウォークでした。

報告:西野嘉一会員
写真:熊谷喜輝
広報:熊谷喜輝

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