活動内容

第86回 歴史探訪会 伏見深草部会「明治維新150年、錦秋の深草・稲荷社・東福寺を行く」(2018.11.22)

第86回 歴史探訪会 伏見深草部会
「明治維新150年、錦秋の深草・稲荷社・東福寺を行く」

◆日  時:平成30年11月22日(木) 13:00~ 曇り
◆集合場所:京阪深草駅 改札口前
◆参 加 費:会員500円(非会員1000円)
◆参加人数:31名(うち非会員1名・スタッフ7名)
◆コ ー ス:深草一本松~宝塔寺~石峰寺~伏見稲荷(豊穣殿・本殿)~藤原俊成・明兆墓
                 ~防長藩士殉難の墓~仲恭天皇九条陵~皇嘉門院月輪南陵~東福寺境内~即宗院           

朝から昼すぎまでの降雨予報も、昼前には雨があがり曇天の中催行しました。
深草、稲荷、東福寺に「明治維新150年」に関連する場所が残っているのか疑問に思われたでしょうが、伏見が西国の拠点でありキーポイントであったことが改めてお分かり頂けたかと思います。
今回の深草~稲荷~東福寺と繋ぐコースは時間的に無理があるとされていましたが、麓から麓を繋ぐほぼ直線コースで行いました。コースには中小のアップダウンがあり、また、スタッフの熱心な説明などで予定時間がオーバーしたため、東福寺境内の三門等の説明ができなかった事は大変申し訳なく反省しております。しかし、参加者の皆様は時間を忘れて錦秋の探訪を楽しまれ満足されたことと思います。

京阪深草駅前にて本日のコースの案内(森部長)
京阪深草駅前にて本日のコースの案内(森部長)

まず、はじめの「一本松の戦い」についてはあまり知られていませんが、単に禁門の変の前哨戦ではなく、深草で御所へ進攻する伏見の長州部隊約500名と幕府側の大垣兵約400名との激戦が行われました。その結果、約200名もの長州兵の死傷者が出て御所への進攻が阻止されました。そのほか幕府側は数万の兵を御所周辺だけでなく洛外でも配置させ、一方、長州軍も京都周辺の三方から進攻したことから戦闘の規模からしても、中村武生先生が「ではなく(甲子)戦争である」といわれるとおりと思います。

深草一本松にて(奥本会員)
深草一本松にて(奥本会員)
一本松の石碑
一本松の石碑

宝塔寺に陣を構えていた大垣藩の台所は火の車であったため、門前の民家が兵舎になったり、住民が食事の炊き出しなどの世話をさせられるなど、大垣兵は本当にひもじかったことが語り継がれています。

宝塔寺にて(神山会員)
宝塔寺にて(神山会員)

石峰寺は、伊藤若冲晩年の終の棲家であり、約10年余りをかけて五百羅漢が作られましたが、今年の台風21号によって壊滅的な状態であるため拝観できないばかりか、未だに復旧の目途が立っていないとのことでした。
伏見稲荷の維新は、まさに神仏分離(太政官日誌)から廃仏毀釈を2カ月のうちに完了しました。

石峰寺にて(安田副部長)
石峰寺にて(安田副部長)

「愛染寺」は、応仁の乱後、勧進聖⇒「本願所」⇒本願所「愛染寺」となり、寺社奉行等幕府と結びつき、全国への分霊や配札の権利についても神社と同等の力を持っていました。破局したとはいえ愛染寺の果たした役割も少なくありません。また、稲荷社内、愛染寺に14代将軍家茂や次の慶喜も各5回立ち寄り休憩されました。そのほか、神官家には、三条実美らの入京や木戸孝允のお礼参り、さらに、禁門の変の後、小倉藩の大砲が本殿に向けられたこともありました。
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愛染寺を偲ばせる灯篭
愛染寺を偲ばせる灯篭

歴探では珍しいことですが、稲荷から東福寺山内に向かう前に、長くて傾斜がきつい坂に備えてガレージ前のスペースで足腰のストレッチを行いました。

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藤原俊成、明兆(兆殿司)の墓は、東福寺南側の南明院の飛地にある墓地の奥にあり、さらに土塀に囲まれているためあまり知られていません。その中の正面にある自然石が明兆の墓で、左隅にある大小2基の五輪塔のうち右側の大きいものが藤原俊成、左側が冷泉家ゆかりの浄如禅尼の墓と伝えられています。

藤原俊成・明兆の墓にて(武富会員)
藤原俊成・明兆の墓にて(武富会員)

 防長藩士殉難之墓は、九条陵の下の静寂な場所に位置し、鳥羽伏見の戦いで死亡した長州藩士48名の墓が2列に整然と並んでいます。その上にある仲恭天皇九条陵は台風21号の倒木が覆ったままになっており哀れな有様でした。仲恭天皇は4才で即位し、わずか70日余という歴代天皇で最も短い在位ですが、明治3年に弘文天皇、淳仁天皇とともに3天皇が加えられました。

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崇徳天皇皇后聖子(皇嘉門院)が埋葬されている月輪南陵は、東福寺方面に下る途中の京都市街が一望できる高台にあります。また、その傍に岡崎公園から移葬された鵺塚陵墓参考地(出土遺物埋納所)があります。

月輪南陵・鵺塚にて(石田会員)
月輪南陵・鵺塚にて(石田会員)

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即宗院は、西郷隆盛と月照が討幕の密議を諮っていました。後に、ここに西郷さんが半年間、籠もって「東征戦亡之碑』を建て、そこには明治維新の薩摩戦没者524名の名が刻まれています。

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即宗院にて(林監事)
即宗院にて(林監事)

また、下の墓地には、寺田屋騒動の説得派の道島五郎兵衛、生麦事件の奈良原喜左衛門及び幕末四代人斬りの一人であった田中新兵衛らの墓があります。

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伏見深草部会 部長  森 幸弘

東福寺臥雲橋からの紅葉
東福寺臥雲橋からの紅葉

(写真:奥本徹夫会員・熊谷喜輝)
(広報部:熊谷喜輝)

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