活動内容

第64回研究発表会・報告 團 道代会員、林 寛治 監事(14.9.4)

 第64回研究発表会・報告 團 道代会員、林 寛治 監事(14.9.4)

◆日 時:平成26年9月4日午後1時10分~午後4時00分
◆場 所:ひとまち交流館 京都 3階
◆研究発表:1. 軍師・官兵衛と秀吉 團 道代会員
      2.足利将軍と近江 林 寛治 監事
◆参加人数:42名
◆参加費 :300円   一般参加費 :500円
 
 第1部は軍師・官兵衛と秀吉です。平家物語のプロフェッショナル・・・というイメージの強い團 道代会員ですが、実は毎年放映されるNHKの大河ドラマに関するご講演も色々な場所でおこなっておられます。そこで今回は、歴史的にも大変興味深い、戦国時代という乱世を生き抜いた黒田孝高こと官兵、そして官兵衛が遣えた秀吉のお話をして頂きました。
 

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今の木ノ本の黒田村が黒田家の起こりだといわれていますが、西播磨の地に流浪してきた官兵衛の祖父・重隆(しげたか)は、目薬にこの地域で信仰の篤い廣峯神社のお札を付け売ったところ、大変繁盛したそうです。そして財を築いた重隆は有力豪族へと成長し、当時姫路を治めていた小寺政職(まさもと)に召し抱えられることになりました。
 
そして官兵衛が生まれる今から467年前、当時この西播磨の地は、東に織田信長、西に毛利と対峙するという、非常に厳しい状態にありました。
 

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官兵衛は正確な情報収集、的確な軍事作戦、そしてたぐいまれな忠誠心と説得力で豊臣秀吉の天下統一を陰で支え続けました。
 
厳しい戦国時代を駆け抜けた官兵衛の魅力を交えながら、1時間半でしっかりと今年の大河ドラマ「軍師・官兵衛」の見所をお話頂きました。
 

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さらには先日伏見で建立された「官兵衛終焉の地」を示す石碑についても触れられましたが、官兵衛と秀吉に関連する遺跡をたくさんご紹介頂きました。
(記事 松枝 しげ美)
 

 

第2部の林寛治さんは第1部でお話頂いた團さんとは初回の京都検定1級試験を受験するために立命館大学行の乗られたバスが同じでした。その中で團さんが林さんに京都案内をされた、エピソードがあります。
林さんは伏見区ご出身で前回までは伏見城を主としてお話していただいておりました。しかし滋賀県大津市に移られ30年が過ぎました。気が付けば最近は滋賀県に愛着を感じるようになられたようです。
今回は滋賀県から見た京都、足利将軍と近江をテーマーに発表していただきました。
 

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 京都の華やかな歴史に対し、古来近江はその裏舞台としての役割を果たしてきました。応仁の乱以降の足利将軍は京都を追われ、たびたび近江の地に仮幕府を置きました。9代義尚(よしひさ)から15代義昭(よしあき)までの100年間の足利将軍の姿を、近江という観点から眺めてみました。
足利と言えば1代、3代、8代、15代以外は探してもあまり資料がありません。このような場合の資料の探し方で参考になるのが、東京大学史料編纂所の大日本資料総合データーベースの対象綱文に「調べたいキーワード」を入れ検索をすると100項目ぐらい日記のように出てきます。本当に便利なのでが皆様も参照してください。
 

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8代将軍義政の後弟の義視(よしみ)に将軍を委ねたのちに日野 富子との間に義尚(よしひさ)が生まれました。その後応仁の乱が京都でありました。結果、義尚が9代将軍になりましたが若くして栗東で亡くなりました。義視の息子、義稙(よしたね)が10代将軍。義稙の近江平定。義稙には細川政元が管領につきました。明応の変の後、1494年に義澄(よしずみ)が11代将軍。1499年に坂本の合戦。1508年の義稙(よしたね)将軍が復帰。義澄11代将軍の終焉の地が水茎岡山城。義稙が管領と不和の時甲賀に逃げる。1521年義晴12代将軍。桂川原の戦いで近江八幡の長光寺に逃げる。つぎに朽木、桑の実寺、坂本へ。義晴は穴太で死す。1546年に義輝(よしてる)日吉神社で元服し、13代将軍に。義輝は霊山城敗退で5年間、朽木で暮らし塚原卜伝の奥義を極めました。1566年に義輝は旧二条城で殺される。
 

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 ★ 坂本側からの道中の安全を帰したお地蔵さん

 
1568年に義栄(よしひで)14代将軍に就任後わずか数か月で亡くなる。10月に義昭が15代将軍になり上洛する。1573年に義昭は織田信長に責められて槙島城で敗退し、7月に室町幕府が崩壊した。その後義昭は秀吉のお伽衆として仕え1597年に61歳の時に大坂で亡くなる。歴代足利将軍の中で最年長でした。
以上が9代将軍からの時代背景で京都の裏で近江が絡んでいたことがわかって頂けたでしょうか。
お話の後、足利将軍が関係した要所を写真で説明していただきました。
(記事 岸本 幸子)
 
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