活動内容

第88回都草美化活動~隨心院~(2014.3.6)

 

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 ★隨心院山門  3月のひと月間が観梅会

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 ★境内の梅

 

第88回都草美化活動~隨心院~(14.3.6)

 

◆日時:36日(木)午前10時集合

◆場所:隨心院

◆参加人数:24名(女性9名、男性15名)

 

 

 

 10時に駐車場に集合し隋心院高倉氏の指示により、文塚への道を中心に落葉の掃除及び草取りを行った。今日はブロアーの威力が十分に発揮された。ごみはその周辺のごみ集積場に集めた。

1時間の掃除の後、能の間に上らせてもらって、亀谷英央執事長の話をお聞きしました。

  

隋心院門跡の由緒

 当山は真言宗善通寺派の大本山であり、弘法大師より八代目の弟子にあたる、仁海僧正の開基にして991年にこの地を賜わり一寺を建立され牛皮山曼荼羅寺と称されました。

これは仁海僧正一夜の夢に、亡き母が牛に生まれかわっていることを見、その牛を鳥羽の辺に尋ね求めて飼養しましたが、日なくして死に、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を描き本尊にしたことに因んでいます。

 その後、第五世増俊阿闍梨の時に曼荼羅寺の子房として随心院を建立し、ついで、第七世親厳大僧正が1229年後堀川天皇より門跡の宣旨を賜わり、以来隋心院門跡と称されています。七堂伽藍は壮美を誇っていましたが、応仁の乱でことごとく焼失しました。その後1599年に本堂が再建され、以後、九条二条両宮家より門跡が入山し、両宮家の由緒をもって寄進再建されました。

 

小野小町由緒の遺跡

 小野と呼ばれていたこの地は小野氏の栄えたところであり、近年小野寺と称する小野一族の氏寺の遺跡が発見された。

 小町は小野篁の孫で出羽の国司を勤めた良実の娘とされています。仁明天皇の更衣として仕えられました。世界三代美女の一人、六歌仙の一人、また、小町怨霊説もある。

                                         (随心院パンフレットによる)

講話の後、院内を見学しました。

小野小町文張地蔵尊像、卒塔婆小町坐像、文塚、化粧の井戸、榧の大木、深草少将百度通いの道。

                     

 

 報告:鹿田晴彦 理事

 

 

 

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 ★いつものように活動開始!

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     ★雪がちらつく中で

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      ★ブロアーの威力!

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  ★私達の活動を見守ってくださって

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★40分の掃き掃除でした 

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 ★この文塚にはある思いがあって と山本達子会員

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     ★山茱萸

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         ★亀谷英央執事長のお話

 

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★時々 笑いも♪

 


 

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 ★名勝小野梅園 開花状況 まだもうちょっと先になりそうです

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             ★3月の最終の日曜日が ‘はねず踊り’

 
 
 
 
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(事務局 小松香織)

 

 

 

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