第148回研究発表会報告、奥西 不二 会員、伊藤 一彦理事(26.2.26)
第148回研究発表会報告、奥西 不二 会員、伊藤 一彦理事(26.2.26)
YouTube 期間限定 3月2日(月)から3月8日(日)午後5時まで
会員のみ限定公開
◆日 時:令和8年2月26日 午後1時10分~午後4時00分
◆場 所:ひとまち交流館 京都 3階
◆研究発表:1.「上方落語の聖地をめぐる」奥西 不二 会員
2.「京都のキリシタン」伊藤 一彦 理事
◆参加人数:ひとまち 19名
第1部は、「上方落語の聖地をめぐる」奥西 不二会員 です。
二部構成で前半に❶尺八の話、後半に❷上方落語のゆかりの地の幾つかをご紹介しました。

❶【尺八のお話】と題まして、詳細な歴史や音階の理論的な話や演奏技法については別の機会に譲って、まずサンプル曲のようなものを4曲実演してみて尺八の生の音はどんなものかを鑑賞していただきました。
尺八の始まりは室町時代からで「一節切」(ひとよぎり)という短い竹製の縦笛から、関ケ原の合戦の後「虚無僧」と呼ばれた技芸集団が幕府の保護のもとで各地に誕生し、それぞれで音楽性や技の向上に努めました。
尺八も長くなり音域が広がりました。尺八が大衆化されたのは明治になってからです。「虚無僧」が制度的に廃止され新たな生活の糧を求めて地歌や民謡の世界と融合するようになりそれぞれの音楽性の向上に寄与しました。明治になり伝統な形式を守りつつも西洋音楽の影響受けながら新しい尺八の音色を音楽として大成させたのが中尾都山でした。私はこの流派に属しています。
現代は伝統楽器全般に言えることですが、愛好する人たちが減少しつつあります。ですが最近は女性や若い演奏家も生まれています。演奏会等を通じて皆さんのご支援をお願いします。

❷【上方落語の聖地を訪ねて】と題しまして、登場人物や旅の話のご紹介した後、歴史的経緯としてゆかり場所4か所、一つ目は誓願寺で安楽庵策伝が法話に笑いを取り入れて『醒睡笑』を残したこと。二つ目は北野天満宮では露五郎兵衛が「辻噺」をはじめたこと。三つ目は大坂の生玉神社では米沢彦八が小屋掛けで看板を出して興行したこと、四つ目は大坂の坐間神社で桂文治が常打ちの寄席を設け上方落語の隆盛をはかったことなどなど。
第二次大戦後、寄席は漫才が主流になり上方落語は衰退しました。桂米朝
笑福亭松鶴、桂文枝、桂春団治などは師弟の関係を越え「出稽古」をして保存と育成に努め笑福亭仁鶴や桂三枝や桂枝雀などのスター生みました。

今も寄席は漫才中心に構成されていますが、落語中心の寄席が「天満天神繁盛亭」があり「新開地喜楽亭」があります。また「池田落語ミュージアム」や「大阪くらしの今昔館」などは関連施設として紹介させていただきました。機会があればお訪ねください。
(奥西 不二 会員)
第2部は「京都のキリシタン」伊藤 一彦理事です。
1 キリスト教関連年表から
キリスト教が伝来した当初、キリスト教に対する施策が短期間で変わっている。織田信長はキリスト教を保護したが、豊臣秀吉はバテレン追放令を出した。その後徳川家康は、初期にはキリスト教を黙認したが、やがて全国に禁教令を出した。こうした施策の変化により、宣教師やキリシタンは混乱した。

2 京都市内のキリスト教関連史跡
① 南蛮寺跡【中京区蛸薬師通室町西 姥柳町】
妙心寺春光院が所蔵する南蛮寺鐘が、現在大阪市立美術館で開催されている妙心寺特
別展で展示されている。
② 二十六聖人発祥の地【下京区妙満寺町】
③ 一条戻橋 【上京区一条通】
④ 慶長天主堂跡【上京区油小路通元誓願寺下ル】
⑤ 元和キリシタン殉教の地【鴨川正面橋 東詰】
⑥ 「ダイウス門徒の北野邊に在る寺」【大将軍八神社周辺?】
⑦ 「四条町中」のイエズス会聖堂 【菅大臣神社周辺?】

3 キリシタン墓碑について
京都では数多くキリシタン墓碑が発見されている。板碑型のものと、横置きの蒲鉾型のものがある。市内の各寺院で発見された墓碑の多くは現在、京都国立博物館や京大博物館、京都市考古資料館、京都市歴史資料館等で保存されている。
4 4か所のだいうす町
「だいうす町」はキリシタンが集住したと考えられる地域。キリスト教のデウス(神)が訛ったものといわれる。京都市内では4か所が確認できる。
① 一条油小路 ② 四条堀川(妙満寺町界わい) ③ 菊屋町周辺 ④ 西ノ京だいうす町?
5 禁教期の信仰
① キリシタンを弾圧するしくみ
絵踏、制札を掲げてキリシタンの密告を促す、 寺請制度 等。
② 禁教期の信仰に関わる遺品
ロザリオ、メダイ、マリア観音などが禁教期の遺物として残る。
③ 禁教期の信仰がわかる他地域の展示、遺品
茨木市立キリシタン遺物史料館[大阪府茨木市千提寺]や澤田美喜記念館[神奈川県大磯
町]、長崎のキリスト教関連博物館、資料館 等。

6 まとめと考察
〇 伝来から100年、キリスト教に対する施策が短期間で変わったことが混乱の原因。
〇 京都ではいち早く布教が始まったが、禁教政策が徹底され、二度の大殉教が起こっている。
〇 教会堂があった場所の近くに「だいうす町」が形成された。
〇 京都府では、20基のキリシタン墓碑が発見され、当時の信仰を知る手掛かりになっている。
(理事 伊藤 一彦)
(広報部 岸本 幸子)