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活動内容

第253回美化活動~智積院~(R07.05.28)

2025.05.29

第253回美化活動~智積院~(R07.05.28)

 

日時:令和7年05月28日(水)午前10時~11時30分

場所:京都市東山区 東瓦町964番地

参加人数:42名

 

今回は五百佛山(いおぶさん)根来寺智積院にて美化活動させていただきました。成田山新勝寺、川崎大師平間寺、髙尾山藥王院の大本山を始め、東京都の高幡山金剛寺、名古屋市の大須観音寶生院を別格本山として全国に3000余りの寺院教会を擁する寺院です。

高野山から根来山へさらに京都東山へ、智山派から総本山へと歴史を重ねながら現在の場所におられます。

当日は少し暑かったですが、晴れて美化活動日和となりました。42名と多くの会員参加となり、熱中症に注意し水分補給を促しながらの活動となりました。

美化活動の初めに、智積院総務部総務課の佐野様よりご挨拶をいただきました。

美化活動は、金堂前周辺の苔の上に生えた雑草を手で引き抜く作業が主体でした。除去した雑草はビニールシートに集めて、智積院指定の場所に廃棄、かなりの量が集まりました。

美化活動1

美化活動2

美化活動3

引き抜いた雑草

美化活動後は書院に案内していただき、同課の金田様より、書院前の庭園を眺めながら、次の様な創祀からの変遷や庭園のお話、長谷川等伯、久蔵の桜楓図の説明を伺いました。

書院前の庭園を眺めながら金田様の説明を伺う

○長承元年(1132)、興教大師(こうぎょうだいし)覚鑁(かくばん)が高野山に大伝法院(だいでんぼういん、真言宗の教えを伝えるための最も重要なお堂)を建建立しました。鎌倉時代の中頃に、頼瑜(らいゆ)僧正が出て、大伝法院を高野山から根来山へ移しました。

しかし豊臣秀吉と対立することとなり、秀吉が亡くなった慶長3年(1598)に、智積院の再興の第一歩を京都東山にしるしました。その後慶長6年(1601)、徳川家康の命により、玄宥僧正に東山の豊国神社境内の坊舎と土地が与えられ、名実ともに智積院が再興されました。

さらに秀吉が夭折した棄丸(すてまる)の菩提を弔うために建立した祥雲禅寺を拝領し、境内伽藍が拡充されました。

○庭園は築山・泉水庭の先駆をなした貴重な遺産といわれ、中国の盧山をかたどり、土地の高低を利用して築山を造り、その前面に池を掘るとともに、泥を鯉が巻き上げて、長江に似た趣きなるように工夫されています。さらに中腹や山裾に石組みを配して変化をつけています。今の時期はサツキが綺麗です。

○書院には長谷川等伯、久蔵の桜楓図(今は宝物館)があり、久蔵の桜図は花びらを盛り上げ立体的に表現したとても斬新ものです、もし久蔵が夭折しなければ、長谷川派は大きな流れとなったであろうとのことです。(一部智積院ホームぺージよりの引用)

草抜きのあとは書院内の空気が新鮮で、その中での説明が素晴らしかったです。

美化活動終了後に智積院を案内していただく(右から金田様、佐野様)

 

(次回美化活動のお知らせ)令和7年6月17日(火)10時00分から

法然院(苔マニアの聖地でもあります)で美化活動を行います。多数の皆様の御参加をお待ちしております。ただし、雨天の場合(NHK天気予報で午前7時現在、京都府南部の降水確率70%以上の場合)は、翌日の6月18日に延期となります。

                                                    報告者、写真撮影 鍋谷 豊 

                 (広報部 松井 浩治)