第48回 都草歴史探訪会 「聖護院から黒谷さんんを巡る」(13.11.14)
★集合場所で
第48回 都草歴史探訪会 「聖護院から黒谷さんんを巡る」(13.11.14)
◆日 時:平成25年11月14日(木) 13時~
◆集合場所:京大病院・南側外来棟玄関前広場(東大路通から春日北通西入る)
◆参加費:1,000円
◆参加人数:33名
◆コース:熊野神社⇒聖護院⇒積善院準提堂⇒菅神社⇒御辰稲荷神社⇒金戒光明寺⇒西雲
院⇒会津藩殉難者墓地
今回歩きました聖護院の地は、修験道の中心的存在であった聖護院門跡に因んだ
名前で、旧愛宕郡聖護院村です。 昔は鬱蒼とした森が広がっており鴨川にかけて
かなり広い地域であったようです。
東部会の担当としては珍しく好天に恵まれ且つポカポカ陽気の秋の一時でした。
東部会初めての試みで参加者33名が「犬さんチーム」と「猿さんチーム」の2つの
グループに分かれての探訪会とし、交通安全対策と参加者へのきめ細かい対応を
目指しました。
一応の成果があったのではと感じています。今後の参考にしたいと思います。
①はじめに、当地は八ツ橋発祥の地であり、その起源や本家、総本店、本舗など
商号の話をしました。余談ですが都草では四条通寺町上るの井筒八ツ橋本舗の
「井筒まちなか案内所」の業務を請け負っております。どうかお寄りください。
以下探訪先について面白い話だけ簡単に触れておきます。
②京の三熊野の一つ「熊野神社」:
三本足の八咫烏は太陽の化身で三本足は天・地・人を表す。JFAのシンボル
マークは近代サッカーの祖・山本覚之助が那智勝浦の出身だったことに因む。
③「御辰稲荷神社」:
祀られている琴の上手な白狐に因み特に芸能上達の稲荷として栄えた。
④「須賀神社・交通神社」
ここしか伝わっていない珍しい「懸想文売り」。貧乏公家や侍の代筆業のアル
バイトであったとか。
⑤「積善院準提堂」:
「崇徳院地蔵」は何故「人食い地蔵」なのか?怨霊となった崇徳上皇の恐ろし
さから「すとくいん」→「ひとくいん」→「ひとくい」と訛ったという。確かに何度も
繰り返していると「ひとくい」になります。崇徳院でなくても周りには「人を食っ
たような人」は見掛けますが。
⑥「聖護院門跡」
「聖護」とは聖体(天皇)を護持するところから聖護と名付けられた。
修験とは理論より実践が中心で、山中修業と加持祈祷を重視する。
⑦「金戒光明寺(黒谷さん)
*一番の驚きは「直実鎧掛けの松」が松枯れ病で伐採されてしまい跡形も無く
なっていたことでした。ただし来年春には三代目を植えるとのことで安心です。
*例の少ない「渡海文殊形式の文殊菩薩五尊像」が見物。
*アフロへアーの元祖・五劫思惟阿弥陀如来石像は一見の価値あり。
⑧「会津藩殉難者墓地」
幕末の5年間と鳥羽伏見の戦での戦死者を含む352霊が祀られている。
慰霊碑には山本覚馬、八重の弟・三郎の名前が刻まれている。
会津松平家が神道であったため約7割が神霊として祀られている。
毎年6月に追悼法要が会津松平家当主列席のもと盛大に挙行されている。
全体に少し駆け足でしたが予定通り4時過ぎには行程走破し終了しました。
都草歴史探訪会・東部会 部長・福井大作 副部長・武富幸治
★熊野神社 京の三熊野社のひとつ
★八橋発祥の地
★須賀神社 節分の日 懸想文売りが現れる
★御辰稲荷神社
★末社 初辰大明神社 辰年生まれの守護神
★亀石大明神
★紫雲山金戒光明寺 通称・「黒谷さん」
★三門を北側から見る
★御影堂
★紫雲の庭
★三重塔 徳川秀忠の菩提を弔うために建てられた
★紫雲石 山号の由来の石
★八重さんの弟 「山本三郎」 の名前がみえます
★今回(金戒?)も 歴探メンバーによるすばらしいご案内 ありがとうございました♪
(写真 海道ただかず会員)
(事務局 小松香織)