第108回 歴史探訪会 伏見深草部会 「錦秋の稲荷山 山麓に社寺が映える!」(2023.11.29)
第108回 歴史探訪会 伏見深草部会 「錦秋の稲荷山 山麓に社寺が映える!」(2023.11.29)
日時:令和5年11月29日(水) 12時30分受付 13時出発~ 晴れ
集合場所:伏見稲荷大社一の鳥居前
参加人数:28名(スタッフ 8名含む)
コース:伏見稲荷大社(楼門、外拝殿、荷田春満旧宅、御茶屋、本殿)→ぬりこべ地蔵→石峰寺(拝観、若冲墓・五百羅漢)→寶塔寺→瑞光寺 解散
コース概要:11月の後半とは思えぬ暖かさで伏見深草の寺社探訪を満喫することができた。
服部嵐雪が「ふとんきて寝たる姿やひがし山」と、その姿を詠んだ比叡山から連なる「東山三十六峰」の南端に位置する稲荷山は、「京都一周トレイル」のコースでもある。
今回は、伏見稲荷大社に現存する遺構の「御茶屋」の今昔を中心に観て、山麓に位置する「ぬりこべ地蔵」から「石峰寺」に向かった。
石峰寺は、若冲が寛政3年(1791)頃から門前に草庵を結び晩年を過ごした所。
「寶塔寺」は日像ゆかりの寺で仁王門は宝永年間(1704~11)の造営。
また、「瑞光寺」の開祖・元政上人は深草の竹を使った深草うちわの誕生に関係しているとされている。
藤尾社の御祭神は舎人親王、藤森神社と深い関係があると言われている。
【楼門】
天正16年(1588)、豊臣秀吉が母親の病気平癒を 祈願した時の御祈祷料で建てられたものである。
【荷田春満旧宅】
江戸時代中期の国学者でもあり歌人でもある荷田春満の誕生地。国学・復古神道の道を切り開いた人物である。
【伏見稲荷大社本殿】
本殿は「稲荷造」と言われ、四方に欄干をめぐらせた建築様式
商売繁盛・産業振興・家内安全・万病平癒・五穀豊穣などあらる人々の願いを叶える神様である。
【御茶屋】
御茶屋の創建は16世紀末から17世紀初頭とされている。寛永18年(1641年)に後水尾天皇から下賜された物である。このお茶屋は躙り口を持たない貴人好みの茶室であるのが特徴。
【ぬりこべ地蔵】
現在の地蔵は伏見街道より東方に位置するが、古くは現警察学校敷地内に祀られていた。ぬりこべ地蔵の名の由来は、歯の痛みを封じ込めることからとも、以前の厨子が土壁で塗り込まれたお堂に祀られていたからとの謂れがある。
【石峰寺】
寛政年間(1789~1801)に藤若冲が石峰寺の傍らに草庵を結び隠棲をして、七代目蜜山和尚の協力をえて五百羅漢の石像群を10年かけて作成したことで良く知られている。
【宝塔寺】
宝塔寺は、藤原基経が嘉祥年間に発願し、嫡子の藤原時平により、真言宗の”極楽寺”を前身として開山された。一時は、『源氏物語』の<藤裏葉>にも登場する大寺であった。延慶年間(1308~1311)日蓮宗に改宗された。
【宝塔寺本堂】
【宝塔寺多宝塔】(重文)
永享11年(1439)以前の建立京都最古の多宝塔で、下層は方形、上層は円形の2層からなり行基葺が特徴。
【瑞光寺】
境内は平安時代に藤原基経が創建した極楽寺の薬師堂の跡と言われ、明暦元年(1655)に元政上人が称心庵という草庵を結んだのが起こりと言われる。
【元政上人の墓】
元政上人の遺命によって墓の盛土の上に三本の竹を植栽し、墓標とした。一本は法(法華経)、更に一本は親(親孝行)、そして残る一本は衆生の為との思いが、込められている。また、この三本の竹には男女の縁切り信仰が根強く残っている。(会員 岡本学)
(広報 須田信夫)
(写真 岡本学)