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活動内容

フィールドワーク 下立売通を歩く(23.12.4)

2023.12.15

下立売(しもだちゅうり)通を歩く

日 時 令和5年12月4日(月)10:00~11:30 
天 候 晴れ
参 加 14名
コース 堀川下立売~下立売七本松

 京都の方以外は読みにくい通り名ですね。通りは現在、烏丸通から西で、聖アグネス教会から始まっていますが、今回は堀川通から西に向かいます。


 下立売通堀川の交差点は、昔は堀川通が狭く、商店街が向かい合って賑わっていたと言われます。市電と堀川をはさんで東の堀川、西の堀川と呼ばれ、銀行や郵便局が集中していました。現在では鳴海餅本店だけになっています。二条城前広場のような道が下立売まで延長され、滑走路を造る予定だったとか(岡田さん談)

鳴海餅本店前にて

 堀川の一筋西、葭屋町(よしやまち)を北に入ります。石碑に桂昌院御生家菩提寺・感應山真敬寺、とあります。その少し北の東側に山崎闇斉の屋敷跡という石碑がありました。御所と二条城のあいだで、文化の香りも多かったのでしようね。

(左)桂昌院殿御生家菩提寺・(右)山崎闇斎邸址

 通りに戻り、少し西に行くと、北側に写真に様な縄が飾ってありました。お家の方に聞くと、大船鉾の車輪に飾られていた飾り縄を戴いてきた、とおしゃってました 。

大船鉾の飾り縄

 もう少し西に行くと「むつき庵」の看板が目に留まりました。“むつきと”は“おむつ”のことです。これから必要になるかもしれませんね。

むつき庵

 更に西に行くと、智恵光院通に至ります。通りが東西にずれ、不思議な空地に交番があります。お話を聞くと、古老が「わしらが金を出してここに交番を作ってもろたんや」という話があるそうですが、真偽不明とのことです。

 智恵光院通を一筋南に行くと、聚楽第の武家地一画として、佐々木酒造の北側に、岡本さんお薦めの徳川家康邸跡、京都所司代千本屋敷跡の石碑と説明板がありました。

佐々木酒造北側

徳川家康邸跡・京都所司代千本屋敷跡

 豊臣秀吉が内裏の上に聚楽第を作りました。ここはすぐ南です。有力武将の屋敷が軒を連ねていたことでしょう。

 下立売通に戻り、すぐ北に山中油店があります。お店の東に水車が回り、池には鯉が泳いでいます。その側に「平安宮一本御書所跡」とあります。平安宮に接して建てられましたが、市中の書物を一部ここに差し出す取り決めになっていたそうです。ここで歴史的に重要な事件がありました。平治の乱の時(1159)この場所に後白河法皇を幽閉していました。しかし清盛側が偽計を使い、後白河法皇の奪還に成功しました。これにより清盛がこの乱に勝利しました。その契機を作った歴史的な事件現場だったのです。

平安宮一本御書所跡

 江戸時代、菜種から油を取ることができ、京の町を明るくしました。菜種畑を多く所有し油を採取しました。時代が変わると、油屋さんのガレージが目立つようになりました。

 ここからは旧内裏の中に入ります。南側に承明門跡発掘地があります。発掘調査をしていると、門と伴に埋めたとされる輪宝が発見され、承明門の場所が確定されました。後に触れます内角回廊跡の場所との距離が正確に測れたことにより、内裏図が正確に配置することができるようになりました。
内閣回廊跡の水落ち史跡は重要史跡に指定されていたと思います。

平安宮内裏承明門跡

平安宮内裏内郭回廊跡

内裏は秀吉の聚楽第建設工事のため、遺跡としては壊滅状態と思われます。その中において承明門跡とこの内閣回廊跡はまさに奇跡的に残った物です。

今回は七本松通で終点となりました。

報告:田村光弘会員
写真:熊谷喜輝
広報:熊谷喜輝