第129回研究発表会報告、岡田英三郎 会員、野津 隆 会員(23.9.8)
第1部は、丹後娘、タイへ翔ぶ 岡田英三郎 会員です。
私は多くのテーマを抱えて調査研究しているが、一つのテーマの区切りとなった。
(研究発表担当 岸本 幸子)
京都を代表する二つの山、比叡山と愛宕山。ともに古くから都人には愛宕郡の霊山として神仏習合の信仰対象で親しまれている山です。近代になり、参拝や巡礼の交通手段として大正期に登山のための建設がなされ、昭和の初めに開業されました。愛宕山には愛宕山鉄道が嵐電嵐山から平坦線で清滝まで、清滝から愛宕山までは急峻な山肌にケーブルを敷設。山頂には遊園地やスキー場、ホテル棟などのレジャー施設もつくられました。
霊峰比叡山へは二つのルートが昭和初期に開業。京都側では叡山鉄道が出町柳から平坦線で八瀬まで。さらにケーブルと比叡山空中ケーブル(ロープウエイ)で延暦寺西塔の高祖谷へ。比叡山山頂には「叡山ホテル」も開業。琵琶湖側からは延暦寺参拝路本坂に沿ったルートで比叡山鉄道(坂本ケーブル)が開業。京都電灯と京阪の二大資本での開発が進められました。しかし、戦争の足音は参拝や観光のための登山鉄道に苦難をもたらせます。愛宕山鉄道は不要不急路線として休止の後廃止。レール等の資材は市電梅津線他に転用。清滝トンネルは三菱重工の航空機部品工場に。
一方の比叡山も叡山ケーブル・ロープウエイは休止。ただ坂本ケーブルは山頂付近に海軍有人ロケット特攻機「桜花」訓練基地が造られることになり資材運搬のためにケーブルは残りました。戦後、比叡山は二つのケーブル・ロープウェイとも再開。盛況を迎えたのにの対し愛宕山鉄道は平坦線・ケーブルともに復活はなく廃業になりました。
この明暗が二つの山への参拝に大きな影響を及ぼしていることは厳然たる事実。ただ愛宕山神社参拝はある意味、前近代までの山詣の形態を残す結果となりました。「お伊勢さんへ七度、熊野へ三度、愛宕さんには月参り」、毎年7月31日の千日詣で大汗かいて火伏の御札や榊の授与を受ける、そんな楽しみを与えてくれているのかもしれません。鉄道マニアや廃墟マニアはくれぐれも廃線跡探索での事故にご注意を!!(会員 野津 隆 )
(広報部 岸本 幸子)