活動内容

第102回歴史探訪会 南部会「桜あふれる 橘氏ゆかりの“井堤”をゆく!」(2023.3.28)

第102回歴史探訪会 南部会
 「桜あふれる 橘氏ゆかりの“井堤”をゆく!」

(日 時)  令和5年3月28日(火) 13時~

(集合場所) JR奈良線「玉水駅」西口

(参加費)  500円

(参加人数) 45名(スタッフ9名を含む)

(コース)  「玉水駅」西口⇒玉川河川敷(散策)⇒六角井戸⇒河川敷散策
       ⇒宮本水車址⇒石橋瓦窯跡⇒小町塚⇒地蔵禅院(玉津岡神社)
       ⇒井堤寺址⇒「玉水駅」東口

(井手の里) 皇族出身で藤原四兄弟が亡くなった後、聖武天皇を支えた左大臣橘諸兄が拠点とした地

 
当日は、天候にも恵まれ、早めに咲き始めた満開の桜の中の絶好の歴史散策となりました。
 
JR奈良線玉水駅西口に集合
【玉川散策】
玉川は、「六玉川」の一つに挙げられ、古来から多くの和歌が詠まれ、歌枕にもされている川で、土手には地元の有志による21の歌碑が建てられていました。
 
満開の桜を満喫
橘諸兄の歌碑
その一つ「駒とめて なほ水かはむ山吹の 花の露そふ 井手の玉川」の歌にもあるように、かつては橘諸兄が植えたのが始まりとされる山吹が植生していたました。
 

昭和28年(1953)の南山城水害で美しい音色で鳴く河鹿蛙(カジカガエル)とともに絶滅してしまいましたが、その後、地元有志が植栽した約500本の桜と早めに咲き始めた山吹を愛でながらの散策となりました。
 

桜並木を楽しみながら次の六角井戸へ

【六角井戸】
この地は、かつて玉ノ井頓宮(天皇行幸の際の宿泊・休憩施設)あるいは相楽別業(諸兄の別荘)であったと伝えられ、聖武天皇が恭仁京へ遷都する前に立ち寄った場所とされる。六角形の井戸が特徴的である。
 
六角井戸跡


【宮本水車址】
江戸時代から大正時代にかけ、菜種や綿実からの搾油、精米、製粉(小麦粉、貝殻など)に利用され、多くの富豪を生んだ。
例年、桜まつり中のみ水車が取り付けられるが、この日は、私ども都草の為に特別に水車を復元していただいた。(感謝です!)
 
宮本水車址

【石橋瓦窯跡】
山背古道沿いのこの地で、奈良時代から平安時代にかけて、勅願寺である奈良の大安寺の瓦などを焼いていた。
 
石橋瓦窯跡

【小町塚】
「冷泉家琉伊勢物語抄」などの文献に、小野小町が井手寺の別当の妻となり、この地で亡くなったことが記載されている。

 

小野小町の墓

【地蔵禅院】
境内のしだれ桜は、京保2年(1727)とされ、円山公園の初代しだれ桜とは親木が姉妹とされ、この日は、ちょうど見ごろであった。
なお、地蔵禅院の上にある「玉津岡神社」は、急な石段であるため、希望者のみ見学してもらい、説明はこの場所で行いました。
 
地蔵禅院のしだれ桜
急な石段がある玉津岡神社

【井手寺】
橘諸兄が建立したとされる井手寺は、橘氏の衰退とともに廃れてしまい、長い間田畑の埋もれていたことから、正確な場所は分からずじまいであった。
平成13年から始まった発掘調査により、場所、大きさ(241m四方)が判明するとともに、橘諸兄が建立したことも裏付けられました。
 
井手寺跡


 

また、令和2年の発掘では、境内の外(東側)に檀林皇后(橘嘉智子)が建立したと推定される塔院(五重の塔)跡も発見された。
 
井手寺柱跡

【流された巨石】
玉水駅西口に置かれている巨石は、昭和28年の南山城水害(約5km上流の大正池の決壊に始まる)の際、線路まで流されてきた巨石である。
 
南山城水害で線路まで流されてきた巨石

駅周辺が一番の低地(玉川は天井川)であったことが、散策を通じても感じられました。(報告 伊藤 義男)

(広報 須田信夫)
(写真 須田信夫)
 
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