第103回歴史探訪会西部会『都の西に眠る皇女たち』(23.4.21)
第103回歴史探訪会西部会『都の西に眠る皇女たち』
◆日 時:令和5年4月21日(金)12:30受付開始 13:00~15:30
◆集合場所:「蚕ノ社」拝殿前
◆コ ー ス:蚕の社~東宝京都撮影所跡(大日本印刷工場跡)~礼子内親王御陵(最後の賀茂斎院)~
後宇多天皇遺髪塔(龍翔寺跡)~右京ふれあい文化会館(東洋現像所跡)~今宮神社~
上西門院陵/待賢門院陵(娘/母)~法金剛院(拝観)
◆参 加 費:1000円(法金剛院拝観料込)
◆参加人数:47名(会員37名+スタッフ・担当理事)
◆天 気:晴れ
数日前まで歴史探訪会当日の天気は雨の予報であり、雨具の準備が必要かと心配されましたが、歩くのには丁度よい天候となり、快適に西に眠る皇女たちの御陵を巡ることができました。
秦氏ゆかりの木島神社(蚕ノ社)に集合し、神社の祭神、歴史の説明を聴いた後、「東宝スター林長二郎(長谷川一夫)の顔切り事件」が起こった東宝京都撮影所跡(大日本印刷工場跡)の横を通り、最後の賀茂西院である礼子内親王(西に眠る皇女①)の御陵に到着しました。そこでは後鳥羽天皇の第三皇女である礼子内親王、さらには斎王(伊勢神宮では斎宮、加茂社では賀茂西院とも呼ばれる)について詳しく解説されました。また、少し北にある後宇多天皇遺髪塔(龍翔寺跡)、後宇多天皇(2度の元寇を経験、後醍醐天皇の父)および南浦紹明(後宇多上皇より、日本で国師号を送られた最初の禅僧)に関して説明されました。
宝プロダクション撮影所跡(現ライフ駐車場)横を通り、右京ふれあい文化会館(東洋現像所の跡地)まで歩き、休憩をとりました。太秦は広い用地が必要な撮影所にはよい立地で、映画を支える人材が京都には豊富であったことから映画産業が発展しました。
JR花園駅の東横の道(平安京の西京極大路に当たる)を北に向かい、今宮神社まで歩きました。神社の歴史・祭神の話を聴いて、神社の西向かいにある上西門院陵を眺めながら上西門院(西に眠る皇女②)について話をうかがいました。父・鳥羽天皇と母・待賢門院の第二皇女で、兄に崇徳上皇、弟に後白河天皇がおり、母待賢門院から受け継いだ所領は後の持明院統に継承されたそうです。次に法金剛院の北にある待賢門院陵には緩やかな坂を登って到着しました。待賢門院(西に眠る皇女③)は、父は藤原公実、母は藤原隆方の娘で堀河・鳥羽天皇の乳母、光子で、幼いころより白河天皇と祇園女御の養女として育てられ、鳥羽天皇に入内しました。初めて「女院領」を形成しました。子の崇徳上皇と後白河天皇の皇位継承争いが後の保元の乱の発端となりました。
最後に法金剛院を参拝しました。右大臣清原夏野の山荘を待賢門院が再興して法金剛院としましたが、その後衰退し、円覚上人が再興、律宗としました。仏像では、本尊の阿弥陀如来(国宝、院覚の作)、十一面観音菩薩座像、さらには地蔵堂の地蔵菩薩(重文、金目地蔵)や一木造の六地蔵などをみることができます。五位山と青女の滝は、「法金剛院青女滝附五位山」として国の特別名勝に指定されています。青女の滝は待賢門院の意向で徳大寺静意が壮大な滝としたそうです。「花の寺」「蓮の寺」とも呼ばれており、待賢門院桜や蓮など四季折々の花が楽しめます。
今回歩いたところには、はじめて来たという参加者が何名もおられました。よく考えられた企画だとうれしい評価をされた方もおられました。
報告:山下 悟会員
写真:山下会員・須田信夫会員・熊谷会員
広報部・熊谷喜輝