活動内容

第124回研究発表会報告、菊井 俊彦 会員、岡田 英三郎 会員(23.1.30)

第124回研究発表会報告、菊井 俊彦 会員、岡田 英三郎 会員(23.1.30)
 YouTube 期間限定 2月4日(土)午前10時から2月10日(金)午後5時まで
    会員のみ限定公開

◆日 時:令和5年1月30日 午後1時10分~午後4時00分

◆場 所:ひとまち交流館 京都 3階

◆研究発表:1.『大宮大路末路と若狭街道』(その2)菊井 俊彦 会員

      2.「鳥居と鳥霊信仰」 岡田 英三郎 会員

◆参加人数:ひとまち 29名

第1部は、 『大宮大路末路と若狭街道』(その2)菊井 俊彦 会員です。
 私にとって、都草の研究発表会も今回で20回目となりました。また、第二の人生で始めた京都の歴史の勉強も15年目に入ることになりましたので、今年は少し振り返って今までの整理をしておこうと考えています。

本日も(その1)に続いて、京都からの若狭街道(雲ヶ畑街道・長坂街道)は大宮大路末路からの支道として展開していることを中心に勉強しています。特に古代の長坂街道については鷹峯の高低差をどのようにクリアするかというところでかなり強引になったかもしれません。
雲ヶ畑街道の本道は大宮大路末路から西賀茂に入り、賀茂川右岸の河岸段丘沿いに高橋まで行き、車坂・満樹峠の峠越えで雲ヶ畑村に出て岩屋・薬師峠・尾桟敷と尾根沿いに山国に抜けています。それに対して、雲ヶ畑川・祖父谷川の川沿いの道筋は新しい道になります。

(その1)でもみましたように古来、安定的な尾根筋の道が利用されてのちに、新たに川沿いの道が開発されています。話はズレますが、今出川についておもしろい表記がありました。『中古内外京師地図』に「今出川 此ノ水雲ヵ畑中津川ヨリ来ル」と、中津川の流れが洛中において今出川の流れとなることが記されています。
長坂街道とされる丹波街道の本道は杉坂・真弓・大森・山国でしたが、室町期に杉坂・供御飯峠・小野・細野・周山の道筋が開発されています。しかし、この時点では清滝川の断崖に阻まれて、まだ小野と中川は交通的には結ばれていません。これが結ばれるようになるのは、現在の国道162号線に該当する周山街道が開通するのを待たなければなりませんでした。
 

 私が長坂街道でこだわっているのは古代の道筋です。千束と鷹峰の高低差を結ぶルートが利用されるようになるのは中世以降のことだと考えられていますので、京見峠から一の坂を下って千束に入りますと直線的に大北山街道(鏡石通)に続いていくのが自然だと思えるのですが。しかし、この道筋では平野道を通って平安京に入ります。これでは大宮大路末路につながりません。そこで京見峠から城山の尾根を通る氷室道を考えてみました。氷室道は古代より利用されていますし、西賀茂で大宮大路末路に合流しています。ただ、残念ながらこの道筋を裏付ける資料には出合えていません。(会員 菊井 俊彦)



第2部は「鳥居と鳥霊信仰」 岡田 英三郎 会員 です。

「鳥居」はどこでも見かけるのに、歴史学・民俗学の研究対象になっていない。

発表前半では、鳥居の見方と変わった鳥居について、管見の範囲で紹介した。
鳥居の起源は、文献史学や考古学的発掘の成果から、およそ10世紀と考えた。

発表後半では、聖界と俗界の境界に立つ鳥居が鳥と関係するかを鳥霊信仰の立場から、実際の遺跡・遺蹟における事例から考察した。
鳥型の木製品・鳥の埴輪や鳥居様の二本柱などは多く見出されているが、鳥居と鳥が直接結びつくような証左は見出されていないと結論した。

発表では、少し論理の運びが整理されていなくて分かりにくい点があったと反省しています。

                              (会員 岡田 英三郎)

                              (広報 岸本 幸子)

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