活動内容

わくわく俱楽部 祇園祭研究会活動報告(13)(19.10.10)

わくわく俱楽部 祇園祭研究会活動報告(13)

日 時:令和元年10月10日(木)12:30~16:00
場 所:御香宮神社~占出山御神庫~西岸寺油掛地蔵
参加者:19名(わくわく俱楽部祇園祭研究会会員以外1名)

=伏見「占出山」を訪ねて=

御香宮神社 祭礼
 
江戸時代御香宮神社の祭礼には、伏見の町に祇園祭と同じ「占出山」が曳山として巡行したということを聞いて、御香宮の祭礼に合わせて「占出山御神像」の見学会を行いました。

 集合場所となった御香宮の境内には露店が並び、今年も10月12日の宵宮には花笠巡行、13日には神輿の神幸が予定されており、洛南一の大祭として知られています。

御香宮祭礼
御香宮祭礼-2

 御祭神には神功皇后をはじめ、仲哀、応神天皇他が祀られ、貞観4年(862)境内より清水が湧き出たことに由来し、清和天皇より御香宮の名をいただきました。
 秀吉が伏見城を築くと城の守護神となり、家康の時代には紀伊、尾張、水戸御三家の始祖が伏見で生まれ、ここを産土神としました。
 豊臣秀頼に嫁いだ秀忠の娘千姫も御香宮を産土神とし、初誕生を迎えた慶長2年(1597)には神輿を奉納しました。この千姫神輿は、日本で一番重い神輿として知られ2.3tの重さを有し、祭礼の期間特別公開されます。昭和35年までお祭りには町衆によって担ぎ出されていましたが、今は重さに耐えかねて担ぎ手もなくお蔵入りとなり、新たに造られた軽い3基の神輿が町を練っています。

千姫神輿
新しい3基の神輿

 伏見城の遺構である表門、家康寄進の本殿はともに重要文化財に指定されています。

表門前にて
林相談役

 そのほか戊辰戦争では、ここは薩摩軍の陣となり、伏見戦跡の碑など見どころは多いのですが、今日の目的地占出山へと向いました。

肥後町 占出山
 御香宮神社から大手筋の繁華街を抜け、昭和のころまで日本最初の電気鉄道(市電)の通っていた竹田街道を北へ行くとバス停肥後町へ出ます。ドラッグストアーダックスの角の御神庫に、占出山の御神像「神功皇后」が祀られ、祭礼の期間には扉が開かれます。

御神庫前にて

 今回は町内の塚本昌宏氏のお世話で、御神庫の内までご案内いただき、水干烏帽子姿で右手に弓、左手に大きなアユを釣り上げた身長約2mの美しいお姿を間近に拝することができました。

お世話になりました塚本昌宏様

 御神像は「鮎祝女御(あゆわいにょうご)」とよばれ、神功皇后が三韓出兵の折、肥前玉島川において、その戦果の吉凶を占うため釣り糸を垂れ、見事大きなアユを釣り上げたというおめでたい故事に由来します。魚偏に占うと書いて鮎と読む文字の語源と伝えられます。
 江戸時代御香宮の祭礼には、氏子各組から趣向を凝らした奉賛の催事が行われ、宝暦12年(1762)ここの組からは練り物として「占出山」の曳山が出されました。江戸時代には5年または7年毎に巡行していましたが、経費の問題もあって明治以降はついに中止され、今は曳山の屋台もなくなり、御神像だけがこの時期公開かれます。

神功皇后御神像(塚本昌宏様御提供)

昭和の初期に僅かな期間占出山が復活したことがあり、塚本家にその貴重な写真が残されていました。

昭和3年頃の占出山(塚本昌宏様御提供)

この後、油かけ地蔵で知られる西岸寺へ廻り解散しました。

西岸寺油懸地蔵堂

(報告:林 寛治相談役)
(写真:林 寛治・大浦俊二・熊谷喜輝)
(広報部:熊谷喜輝)

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