活動内容

丹波支部行事 「旧山陰街道に残る丹波の歴史をめぐる」(16.11.27)

都草 丹波支部行事 「旧山陰街道に残る丹波の歴史をめぐる」(16.11.27)

日時:平成27年11月27日(日)雨模様

行程:【馬堀駅集合(9:30)】→馬堀城址➡【篠村八幡宮】→矢塚、旗立楊➡王子神社(闇の宮)➡
    めがね橋(田辺朔郎)➡【山陰古道】→三軒屋→船着場→異人道➡子安地蔵(恵心僧都)➡
    酒呑童子首塚(首塚大明神)➡山本城址(如意寺)→唐櫃越➡昼食

去る11月27日(日)、生憎のかなり強い雨が降る中を、丹波支部メンバー(5名)プラス熊谷副理事長の参加を得て、首記行事を執り行いました。

篠村八幡宮や酒呑童子首塚などはかなりポピュラーで、いわく因縁や由緒などをご存知の方も多いと思いますが、それ以外の場所は、まさに穴場中の穴場で、歴史好きにはたまらない散策となったと自負しています。私自身も、長年亀岡市に住んでいますが、こんな隠れた史跡がごろごろしているとは全く知りませんでした。 特に普段利用しているJR馬堀駅が、馬堀城址であったとは・・・・。辺りには表示標識は全くなく、城跡を思わせる石垣などもなく、どこが・・・?と思うような場所ですが、周辺の高低差をじっくりと考察してみると、「ブラタモリ」風に、「たしかに!!」と納得してしまいます。
山本城跡も、唐櫃越の入り口に位置しており、明智光秀との因縁も非常に興味深いものです。こうした歴史を知り、当時の武士たちの運命に思いを馳せると、何か切ないものを感じます。

馬堀城址に建つJR馬堀駅
馬堀城址に建つJR馬堀駅
篠村八幡宮、ここで尊氏は北条氏に反旗を翻した
篠村八幡宮、ここで尊氏は北条氏に反旗を翻した
境内の相撲場では 元気な子供たちが稽古に励んでいた
境内の相撲場では
元気な子供たちが稽古に励んでいた
参集した武士たちが矢を立てた矢塚
参集した武士たちが矢を立てた矢塚
源氏の白旗がたなびいた楊の木(当時は境内)
源氏の白旗がたなびいた楊の木(当時は境内)
篠村八幡宮で井上部長より案内
篠村八幡宮で井上部長より案内
王子神社(闇の宮)、 鎌倉時代に熊野若一王子を勧奨し正一位の位を受けた。 鬱蒼とした森の中にあったので、くらがりの宮、位有の宮とも云われた
王子神社(闇の宮)、
鎌倉時代に熊野若一王子を勧奨し正一位の位を受けた。
鬱蒼とした森の中にあったので、くらがりの宮、位有の宮とも云われた
めがね橋(王子橋)、右は国道9号線 田辺朔郎博士が水路閣を作る前にテストで造った橋
めがね橋(王子橋)、右は国道9号線
田辺朔郎博士が水路閣を作る前にテストで造った橋
山陰古道入口、昔は参勤交代も通ったらしい
山陰古道入口、昔は参勤交代も通ったらしい
三軒屋、往時は旅館や店が立ち並んでいた
三軒屋、往時は旅館や店が立ち並んでいた
船着場跡にて
船着場跡にて
首塚大明神入口
首塚大明神入口
首塚大明神
首塚大明神
酒呑童子の由緒を書いた石碑
酒呑童子の由緒を書いた石碑
からと越(本能寺への道)
からと越(本能寺への道)
山本城跡(からと越え)
山本城跡(からと越え)

今回の行程は、なかなか観光ルートとして、多くの方々が一律に楽しめるというものではないので、一般化するのは難しいと思います。ただ、丹波・亀岡の地理的・軍事的位置づけや、京都との精神的なつながり、人々の思いなどが、こうした史跡などを通して、もう少し認識を広げることができたらなあと考える次第です。

(丹波支部長 井上享一)

本日の参加者の皆様、お疲れ様でした
本日の参加者の皆様、お疲れ様でした

(写真撮影:熊谷喜輝)
(広報部:熊谷喜輝)

 

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