第72回都草歴史探訪南部会「錦秋の泉涌寺道を探る」~隠れた史跡も発見~ (2016.11.20)
第72回都草歴史探訪南部会「錦秋の泉涌寺道を探る」~隠れた史跡も発見~
◆日 時:平成28年11月20日(日) 午後1時スタート
◆集合場所:瀧尾神社境内
◆参加人数:43名(会員35名、非会員8名)
◆参 加 費:会員500円 非会員1000円
◆コ - ス:寶樹寺 ⇒ 瀧尾神社 ⇒ 法住寺殿址 ⇒ 夢の浮橋跡
御陵衛士墓所 ⇒ 即成院 ⇒ 戒光寺 ⇒ 鳥戸野陵(解散)
今回は、ちょうど紅葉シーズンの日曜日にあたるため、人出が多い東福寺や今熊野観音寺は避け、寶樹寺、鳥戸野陵などの隠れた史跡に焦点をあてて新しい発見をしていただけるコースを組みました。
そして、2斑編成のグループで伊藤副部長及び田中会員が先導し、各定点において7名の会員によりガイドさせていただきました。

あいにくの曇り空で紅葉を愛でるには少し残念でしたが、最後まで雨が降らずにコースを巡ることができました。
まず、「寶樹寺」(浄土宗西山禅林寺派)では、秘仏の薬師如来像(伝常盤御前念持仏)を公開していただきましたが、お寺では午後2時から法事が予定されていましたので慌ただしいお参りとなりました。


「瀧尾神社」では、拝殿の天井にある大船鉾の龍頭のモデルになった昇り龍のほか、本殿正面の阿吽の龍、獏や回廊の十二支など九山新太郎氏作の見事な彫物が飾られていました。


東山泉小中学校(旧一橋小学校)前では、後白河法皇の院御所であった「法住寺殿」の説明とともに、法皇が愛好されていた今様歌がテープで流されて、当時の優美な情景に思いを馳せることができたのではないでしょうか。

「夢の浮橋跡」では、エノキの傍に歌碑が残るだけで、橋の下を流れていた川も暗渠になっているため、ガイドの説明と付近の地形によって当時の川の流れや、架かっていた橋を想像するしかありませんでした。

「御陵衛士墓所」は、油小路事件で亡くなった伊東甲子太郎、藤堂平助ら4名の高台寺党(御陵衛士)のお墓ですが、心無い人たちの悪戯のため鉄柵が設けられて、墓参が禁止されていました。現在はお参りすることはできますが、墓所の周囲に垣根が張り巡らされているため、各墓前でお参りすることはできませんでした。

即成院山門の翼を広げた鳳凰は、伏見から移される前と同じく現在も平等院の鳳凰と向き合っています。
また、境内の紅葉は多少ピークを過ぎた感がありました。
「戒光寺」については、境内に参拝者や観光客が多いため、即成院境内での説明となりました。


最後の「鳥戸野陵」に向かう道は細くて分かりにくい上、鳥戸野陵参道の石段(約70段)は大変険しかったと思いますが、不遇で短い人生を送られた中宮定子さまにお会いできて良かったのではないでしょうか。



今回訪れた史跡は一部でありましたが、参加者の皆さまには泉涌寺道界隈が歴史的に奥深い地域であることを認識されるとともに、それぞれに新しい発見をしていただいたことと思います。
(歴史探訪南部会 部長 酒井 源弘)
(写真:奥本徹夫、熊谷喜輝、須田信夫)
(広報部:須田信夫)