活動内容

第50回都草美化活動~若一神社~(12.5.20)

  

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50回都草美化活動~若一神社~(12.5.20)
 
◆日時:5月20日(日)午前10時集合
◆場所:若一神社
◆参加人数:26名(女性10名、男性16名)
 
境内及び楠社の落葉集めを中心に行なった。晴天にも恵まれ約1時間程度をかけ15袋程度のごみの整理が出来ました。始まる前に比べて格段にきれいになりました。
ごみは神社指示の場所に集めました。(西大路側の楠木の根元)
 
終了後、中村重義宮司のお話を、うえに上らせてもらってお茶の接待を受けお聞きしました。
若一神社のあるこの地は平清盛が六波羅に居住していた頃、西八条殿という別邸を建てた地と言われております。当時この地は水源が豊で大木が立ち並ぶ浅水の森とよばれた風光明媚な場所でした。
御祭神は熊野大権現の第一王子(若一王子)御由緒は光仁天皇のみよ、唐より渡来して天王寺に居住していた威光上人が人々の救済のために熊野権現の分霊・若一王子の御神体をこの地に勧請したものと伝えられます。威光上人は紀州熊野から分霊・若一王子の御神体を背負ってこの地まで来ましたが、森の中の古堂で一夜を明かした祭、神意を受けてこの堂中に安置したということです。その後御神体は土中に埋まってしまったのですが仁安元年(1166)八月、平清盛が紀州熊野に詣でた際に、お告げがあり土中に隠れている御神体を世に出し御祀りせよと。帰京後邸内を探していると庭の東方築山より夜光が放たれました。喜んだ清盛は自ら約1メートル掘って若一王子のご神体を探し出し、社殿を造って開運出世を祈ったところ翌年太政大臣になりました。ゆえに開運出世の神様といわれる所以です。若一神社といえばクスノキのご神木ですが昭和8年西大路通が開通整備された時に、敷地を大きく削られました。しかし神木自体の撤去作業は清盛の崇りがあるとされ中止され、西大路通は少し西に曲げて開通しました。境内には神供水と呼ばれる名水があります。
室内には西八条邸での宴を描いた錦絵(江戸時代の作)がありました。
   

                  (記事:鹿田晴彦 美化活動部長)

 

 

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   ★鹿田晴彦部長 お孫さんとの美化活動  お孫さんに伝わる素晴らしいもの…

 

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 ★道路際 安全に注意!

 

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   ★さあ、今日も頑張りました   

 

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 ★中村重義宮司のお話

 

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 ★美化活動は一服の清涼剤♪ みなさん どこか爽やかにお見受けいたします~

 

 

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  ★平清盛公西八条殿跡

 

 

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   ★平清盛公像

 

 

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   ★奥は 平清盛公 お手植えの楠

 

   

(写真:長田拓志会員)

(事務局 小松香織)

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