活動内容

第36回都草美化活動~武信稲荷神社~(11.9.24)

  

1246-武信稲荷鳥居.JPG

 

 

      1232-ヤブラン.JPG

      ★ヤブラン

 

        1231-ざくろ.JPG  

        ★ザクロ 

 

 

36回都草美化活動~武信稲荷神社~(11.9.24)
 
◆日時  :2011年9月24日(土)10時集合
◆場所  :武信稲荷神社
◆参加人員:21名(女性8名、男性13名)
 
今日は21名の方のご奉仕をいただきました。
境内の落葉拾い、草取り、及び神社側よりの要請で境内社の裏の長年たまった落ち葉の収集を行いました。45ℓゴミ袋に20袋収集できました。
 
 作業終了後、仲尾宮司のお話を境内でうかがいました。
経緯
 貞観元年(859)「西三条大臣」 とも称されていた右大臣左近衛大将 藤原良相(ふじわらのよしすけ)によってこの地にあった延命院(医療施設)と勧学院(学問所)の守護神として創祀される。
この地は平安京の中央官庁や貴族の邸宅があった地域であった。
その後、藤原武信が厚く信仰し、神社の発展に尽力したことで「武信稲荷」と称されるようになった。
境内
 本殿、拝殿、舞殿
榎のご神木
 樹齢850年、平重盛が安芸の宮島厳島神社から苗木を移し植えたと伝えられ、旧京都最大最古の霊樹である。
境内社
 宮姫社、釘抜き大明神、白蛇社
祭事
御例祭(さつき祭り)5月第二日曜日
御火焚祭 11月第二日曜日
その他
 龍馬とおりょうの縁結び
  武信稲荷神社の南に、幕府直轄の六角獄舎があり勤皇志士が多数収容されていた。その中におりょうの父親勤皇家医師楢崎将作も捕らえられていた。龍馬とおりょうは榎の大木の上から様子をうかがったといわれている。
  その後、龍馬とおりょうは離れ離れになるが、榎の木に龍馬独特の「龍」の字が彫ってあるのを見つけ、龍馬が京都にいる事を知り再会できたといわれている。                      
      
             (記事:美化活動部長 鹿田晴彦)

 

 

         1247-櫻井理事.JPG 

 

 

            1237-鹿田部長.JPG

 

 

 

 

   1241-清掃風景2人.JPG

 

 

  1249-武信稲荷神社皆さん清掃風景.JPG

 

 

           1230-ごみ袋.JPG

          ★今日の成果

 

  1240-神官さんのお話.JPG

  ★仲尾宮司のお話  昔は、ここから嵐山の紅葉が見えたとか

 

        1244-釘抜き.JPG 

        ★釘抜さん

           

            1238-勝絵馬.JPG

            ★勝駒

 

 

        1243-托鉢.JPG

       ★美化活動中に何人もの托鉢僧が足早に通り過ぎて行きました   

 

 

 

◆ 樹齢850年 榎 ◆

 

         1245-東側からの榎.JPG

 

 

         1236-後ろに榎が.JPG

 

           

          1248-武信稲荷神社榎根っこが石を上げる.JPG        

          ★榎の根が敷石を持ち上げています!!

 

       1242-西側からの榎.JPG

        ★西側から見上げる

 

 

     1234-榎下から仰いで.JPG

 

 

 

1235-榎枝に分かれる部分.JPG

 

 

 

1233-榎 象の足のよう.JPG

 

 

(事務局 小松香織)

 

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