活動内容

第25回都草歴史探訪会~歴史を織り成す西陣を歩く~(11.2.24)

第25回都草歴史探訪会~歴史を織り成す西陣を歩く~(11.2.24)

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山名宗全邸跡の碑

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雨宝院 歓喜桜

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本隆寺 夜泣き止めの松

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浄土院 本尊阿弥陀如来像

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大報恩寺本堂

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大報恩寺 おかめの像

◆日時:平成23年2月24日(木) 12時30分 曇天

◆集合場所:堀川今出川西北角

◆参加者:54名

◆案内:西部地区担当

◆コース:集合場所~山名宗全邸跡~雨宝院~本隆寺~首途八幡宮~般舟院~般舟院陵~

    伝式子内親王塚~上善寺~浄土院~大報恩寺

 

2月にしては暖かな気候に恵まれた午後、歴史を秘めた西陣の町をめぐりました。集合場所から堀川通りを少し北へ行き、図子を西に折れると町家の間に竹垣に囲まれて「山名宗全邸跡」の碑があります。応仁の乱のとき細川勝元の東の陣に対し、山名宗全は西側のこの辺りに陣を敷き、戦乱の後、この地は西陣と呼ばれるようになりました。
そこから雨宝院への裏道は、紅柄格子の古い家並みが続きます。和服が一般に愛されていた昭和のころまでは、どの家からも機を織る音が聞こえてきたのですが、今は聞かれなくなりました。
西陣の聖天さんとして親しまれている雨宝院では、まだ花には早い歓喜桜と西陣五水の一つに数えられている染殿井を見て隣の本隆寺にまわり、住職から日蓮宗十五本山で「焼けずの寺」と呼ばれてきた寺の歴史や「夜泣き止めの松」の話を聞きました。
首途八幡宮には「源義経奥州首途の地」の碑があり、社名ともなった義経旅立ち伝説に思いを馳せ、般舟院陵では、陵と墓の相違や式子内親王の恋について相手は定家か法然か、との興味深い案内もありました。
上善寺は天台宗真盛派のお寺で、「仮名手本忠臣蔵」早野勘平の妻お軽のモデルとされる女人の墓があります。すぐ隣の浄土院は秀吉が北野の茶会への道すがら立ち寄り、住職に茶を所望したとき、茶人である秀吉に茶を点てるのに無作法があってはいけないと住職は白湯を献じ、その心を愛でた秀吉から「湯沢山茶くれん寺」の名をいただいたという。ご本尊は平安後期作の重文指定阿弥陀如来像で、本堂の屋根の上には桃山時代の陶工楽長次郎作と伝える寒山拾得の像が置かれています。
冷え込み始めた夕ぐれ時、最後に訪れた大報恩寺は千本釈迦堂の名で知られています。本堂は京都旧市街最古の木造建造物で、国宝に指定されています。境内には「おかめ」の像があり、本堂造営に際し大工の棟梁である夫高次の失策を、内助の功で助けたおかめさんの伝説が残されています。京都の街角に残る歴史や伝説を一層身近に感じた今日の散策でした。

(文と写真:都草副理事長 林寛治)

(HP運営委員会 吉見誠一郎)

 

 

 

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