深草支部伏見区民史跡めぐり~伏見城ゆかりの地を訪ねて~(11.6.18)
2011.06.21
★千姫寄進の神輿
深草支部伏見区民史跡めぐり~伏見城ゆかりの地を訪ねて~(11.6.18)
◆日 時:6月18日(土) 午前9時 御香宮集合
◆天 候:曇り 時々小雨
◆主 催:伏見区文化協議会
◆参加者:伏見区民の皆様 100余名
◆コース:御香宮~大光明寺陵~京都橘高校資料館~明治天皇御陵~照憲皇太后御陵
◆案内人:御香宮三木宮司 都草深草支部会員9名
梅雨空の中で時々小雨もぱらつく天候でしたが、地元桃山の歴史に親しもうとする伏見区民100名余りが参加され、私達の話を熱心にメモしておられました。
最初に主催者代表である御香宮三木宮司から、御香宮と伏見城の関係についてのお話があり、日ごろは非公開の千姫寄進になる神輿を見学しました。
日本で最も重いといわれる神輿は、重量は2トン余りで荘厳な桃山文化の美を感じました。
徳川御三家の藩祖はいずれも伏見に生まれ、御香宮を産土神とし、水戸頼房寄進の御香宮表門は伏見城の大手門と伝えられています。
大光明寺陵は、北朝の光明、崇光天皇を祀りますが、秀吉が文禄元年(1592)に隠居所として最初の指月の城を築いた場所でもあります。
その後、京都橘高校の資料館を訪れ、校舎建設時に発掘された金瓦の数々を見学しました。
最終地明治天皇御陵は、慶長元年(1598)の大地震によって崩壊した指月城を移して建てられた木幡城の本丸跡にあります。
伏見城とは指月城、木幡城の総称であり、豊臣家から徳川家へと引き継がれてこの地に31年間の歴史を残しました。
秀吉終焉の地であり、関ヶ原前哨戦としての伏見城攻防、家康、秀忠、家光の将軍宣下などありし日の伏見城をしのぶ数々の話に、参加者も深い関心を寄せられ大変好評でした。
最後に伏見区長から、地元の人々に伏見の歴史を学んでいただく機会として、来年も是非行いたいと挨拶がありました。
★御香宮 三木宮司の案内
★大光明寺陵 都草会員の案内
★明治天皇陵 都草会員の案内
(記事:林寛治 監事)
(写真:池田能久 会員)
(事務局 小松香織)